西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
今月の主題…「受難、罪人と向き合う主イエス」
◆参考…マルコによる福音書における死刑の日~復活の日までの概略…赤は聖書教育誌の日程・箇所
6日目 | (金曜日) | 15章〜ピラトから尋問される、死刑の判決を受ける、兵士から侮辱される、 十字架につけられる、イエスの死、墓に葬られる(聖書教育 3/25) |
7日目 | (土曜日) | 安息日 |
8日目 | (日曜日) | 16章〜復活する(聖書教育4/1)、マグダラのマリアに現れる、二人の弟子に 現れる、弟子たちを派遣する。天に上げられる。 |
*マルコによる福音書では、主イエスがロバの子に乗ってエルサレム入場する時から極端に主イエスのセリフが減るという特徴がありますが、主イエスがゲッセマネの園で捕えられた後、十字架にかけられて息を引き取るまでの会話はさらに少なくなり、次の三つです。
①大祭司の前での会話
14章62節 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」
②ピラトの前での会話
15章2節 ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。
③十字架上の会話
15章34節 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
➔このようにマルコはほとんど無言のままの主イエスを描写し続けます。
黙想のポイント
・ピラトの裁判後は一貫して無言を貫いた主イエスでした。兵士たちから侮辱を受けた時も、ゴルゴタの丘へ向かう時も、そして十字架につけられてからもマルコはほとんど無言の主イエスを描き続けます。その中であえてマルコが選んだ主イエスの会話には、特別な気持ちが込められているのではないでしょうか。34節で主イエスの言葉に込められている思いを黙想しましょう。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。http://www.bapren.com/index.html
(『聖書教育』ホームページ)
◆イエスの死
15:33 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
>>>この箇所の解釈の一つは、これを詩編22編の1節の言葉として理解する方法です。その場合には22編全体が十字架上のイエスが伝えたかった言葉になります。特に最後の部分は全人類の救いの希望が語られています。もう一つの解釈は、主イエスが人類の最も切実な神への叫びを共有した場面として理解することです。この言葉の中に、主イエスが人間になられてから十字架上で死なれるまでのすべての人間の苦しみが集約されていると受け取ることができます。人間にとって最も深刻な悲劇は、神に見捨てられたと自覚し、もだえ苦しむことだからです。主イエスは両方の意味を込めて最後にこの言葉を口にしたのかも知れません。
15:35 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。15:36 ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。15:37 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。15:39 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。15:40 また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。15:41 この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。
◆墓に葬られる
15:42 既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、15:43 アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。15:44 ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。15:45 そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。15:46 ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。15:47 マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。
>>>福音書記者のマルコは主イエスの言葉を制限する一方で、後半になるにつれて、様々な人が主イエスへの信仰姿勢が変えられていく姿が描かれています。
・百卒長…異邦人(外国人)の百人隊長が十字架につけられた主イエスの一連の様子を目の当たりにして、「本当に、この人は神の子だった」という信仰告白に導かれています。死刑に絶対してはならない人の死刑に加担してしまった罪を認めている言葉でもあります。
・アリマタヤのヨセフ…43節に「身分の高い議員」とあることから、ユダヤ教の最高決議機関であるサンヘドリン議会の重要ポストにいたと考えられます。また、ルカによる福音書の23章50節以下に「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた」とあります。従って、彼は主イエスの裁判の時に、数少ない死刑反対の立場を取った人物でした。一方、ヨハネによる福音書19章38節では「その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。」とあることから、彼は主イエスの死刑に反対の立場を取ったものの、イエスの弟子であることを公にすることを恐れて隠していた人物だったことがわかります。しかし、彼は大きな決断をしました。主イエスが息を引き取ったのは午後の3時頃でした。その日の日没から始まる安息日開始までのわずかな時間の間に、ローマ当局の許可を得て、イエスを十字架から下ろしてお墓に移動させるには、彼のような立場の人以外にはできなかったことでしょう。ただし、そのようなことをすれば、これまでの地位と名誉は放棄しなければならないことを意味していました。葛藤もあったはずです。それでも彼はこのことを通して、主イエスの弟子であることを公に表明することを決断したのです。従って、アリマタヤのヨセフもまた、主イエスとの出会いによって大きく変えられた人物だったと言えます。
*このようにマルコ福音書は主イエスの復活を待たずに、非常に大切な信仰の決断に導かれていった人々がいたことを伝えています。主イエスとの出会いと十字架のあがないは、それほどの影響力があったということでしょう。私たちもそれぞれに信仰の課題を多く持っている者たちかもしれません。それでも、主イエスによって神の御心に沿うように変えられていく希望の中にあることを感謝したいと思います。
◆話し合いのポイント(聖書教育誌と連動させて…)
・聖書教育誌をご参照下さい。