西川口キリスト教会 斎藤信一郎牧師
『あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。』 ペトロの手紙一4章10節
現代ではカリスマと言えば特別な能力を持った人を指しますが、上記10節の「賜物」はギリシャ語原典でカリスマという言葉で、だれもが神から与えられる様々な恵みの賜物として語られています。また10節の「管理者(スチュワード)」はスチュワードシップ=管理者精神、「仕えなさい=ディアコネオー」はディーコン=執事の語源になった言葉です。
聖書の基準では財産、人脈、時間なども、神から与えられた賜物として賢く生かして用いることが含まれます。また、私たちが「これさえなければもっと喜べる人生が送れるはず」とか、「これさえなければもっと世の中の役に立てるはず」と思う、人生の負の部分も神の賜物なのです。コインには裏表がありますが、裏を無くすことは表も無くすことを意味するように、短所と長所は互いに必要不可欠なのです。一見、不必要で邪魔に思える負の賜物も、用い方次第では役に立つものに変えることができるのが、神が与えて下さる賜物です。
大切なのは、今与えられている自分の良い面も負の面も、全て神からの賜物として受けとめ、7節に語られているように限られている人生を最大限思慮深く、ひたすら祈って賜物の有効な用い方を神に導いていただくことが大切だと示されます。そして8~9節で最優先事項として語られているように「心を込め」、「不平を言わず」に神のさまざまな恵みの善い管理者として、互いにすべての賜物を生かし合いましょう。
中国伝道で活躍したハドソン・テーラー宣教師の影響を受けて育ったエミー・カーマイケル宣教師は、病弱で神経痛持ちでした。彼女は青い目に憧れていましたが、目は茶色でした。しかし、インドで宣教するのにそれらの負と思える賜物も役に立ったといいます。神は私たちのあらゆる賜物を用いることができるお方です。主イエスもゲッセマネの園で取り除いて欲しい杯があると祈りました。しかし、祈りを通して、それが神の御心であると確信して、十字架という神の賜物を背負いました。私たちにもまだまだ用いることができる賜物があるのではないかと教えられます。