西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
今月の主題…「主イエスの御業を引き出す信仰」
◆前回マルコ5章1~20節から今回までのあらすじ
・今回は少々脇道にそれて地理的な理解をしておきたいと思います。これが案外重要なのです。前回は、ガリラヤ湖の東(右側)海岸についた主イエスが、特殊な悪霊に取りつかれていたゲラサ地方(デカポリス地方の一地区で、ガリラヤ湖より南南東方向に60キロほど行った地域、かつガリラヤ湖と死海を結ぶヨルダン川の中間地点を東に進んだ辺り)出身の人を、その苦しみから解放する話でした。その後、今回の7章の箇所に至るまでに主イエスが移動した距離は相当なものがあります。まず、ガリラヤ湖の対岸(西側)に移動し、ヤイロという会堂司の娘を癒し、十二年間出血の病を患っていた女性を癒します。それから郷里のナザレに戻りますが、そこでは受け入れられません。その後、十二弟子を村々に派遣し、バプテスマのヨハネが殺される話の後、五千人にパンと魚を食べさせる話が続きます。それから、イエスはガリラヤ湖の北東部にあるベトサイダへ、弟子たちを先に舟で向かわせますが、逆風のために進めなくなります。イエスは湖の上を歩いて舟の元へ追い付きます。しかし、結果的にはベトサイダとは方向違いのガリラヤ湖の西岸にあるゲネサレトに着くことになります。7章ではファリサイ派の人々と昔の人々の言い伝えについて論争した後、ガリラヤ湖の北西に60キロほど移動した地中海沿岸のフェニキア地方のティルスという町に向かいます。途中でフェニキアの女性の娘を癒す話があって今回の箇所につながります。31節冒頭には、イエスの一行がティルス地方を去って、さらに40キロほど北のシドンの町を経由してから、ガリラヤ湖の南東に広がるデカポリス地方を旅して、ガリラヤ湖東岸に再び戻ったことが語られているのです。イエスたちの旅路が広範囲に渡っていたことが分かります。そして今回、イエスたちが戻ってきた場所は、前回の箇所で語られた地域であり、異邦人たちが住む地方でした。ここで新たな主イエスとの出会いが生まれ、人生が帰られていく人々が登場します。主イエスは異邦人の地に少なからず赴き、そこでの出会いを通して多くの異邦人が福音に触れて行くのです。今回の場面も、そんなエピソードの一つだと言えます。
黙想のポイント
・今回の聖書教育誌が強調していることですが、当時の人々は病気をしていた人や障害を負った人を汚れた存在として扱い、その人に触ることは自分が汚れることだと考えていたようです。異邦人と接触することもこれと似た理解がありました。そのタブーを破って、人種や宗教的立場を超えて人々と向き合って行かれる主イエスの姿に学びましょう。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。
http://www.bapren.com/index.html
(『聖書教育』ホームページ)
◆耳が聞こえず舌の回らない人をいやす
7:31 それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。
>>>何気なく語られている地名ですが、あらすじで解説したように聖書の巻末などについている地図で確認しながら読むと、当時の主イエス一行の行動がより豊かに理解できるでしょう。
7:32 人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。
7:33 そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。
7:34 そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。
>>>ここで主イエスが取った行動は人々を驚かせたことでしょう。異邦人に触れたこと、病人に触れたこと、耳の聞こえない人の耳を両指でふさいだこと、舌が回らない人の舌を自分の指でつまんだこと、自分のつばを他人の舌に付けたこと、いきなり天を仰いで深く息をついたかと思えば「エッファタ」と宣言したことなどなど。主イエスは病人や異邦人と接触することを恐れるどころか、自分の唾液を臆することなく他人に付けます。主イエスにとっては子どもの傷口に親が応急措置でつばを塗ってあげるような親しみを込めた行動だったのかも知れませんが。
7:35 すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。
7:36 イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。
7:37 そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」
>>>今回の出来事を口外しないように口止めするイエスでしたが、癒された本人のみならず、人々はこの出来事を語らずにはいられませんでした。こうして異邦人の地においても主イエスのことが異邦人たちによって広く宣教されていくことになるのです。
◆話し合いのポイント(聖書教育誌と連動させて…)
・2月11日は信教の自由を守る日として全国で覚えられます。今回の箇所では主イエスが人種や宗教的立場を超えて人々に最善を尽くされた姿が印象に残ります。私たちが信仰や考え方の違いを超えて理解し合い、共に協働できることは何でしょうか。信教の自由を守る日に行われている諸行事を参考にご一緒に考えましょう。