西川口キリスト教会 斎藤信一郎
今月の主題…「主イエスの御業を引き出す信仰」
◆前回マルコ3章1~6節から今回までのあらすじ
・前回は、イエスが安息日に会堂で法を犯すかどうかを確認した上で、ファリサイ派の人々はイエスを厳罰に処することを目論みます。それに対して、主イエスが挑戦するかのように、片手の萎えた人を癒す話でした。この話の後、イエスは弟子たちと湖へ向かいますが、大勢の群衆が方々から噂を聞きつけて押し寄せ、小舟の上に避難して宣教しなければなりませんでした。今回の箇所を合わせて考えると、主イエスには陸でも、湖の上でも長く休む場所はないようです。主イエスが言われた「人の子にはまくらするところがない」(マタイ8:20、ルカ9:58)を思い出します。それから話は変わり、イエスは山に登り、十二弟子を任命する話、その後、家に帰った直後から再び群衆に囲まれて休む間もない多忙の身となり、親族からは気が変になったと思われ、律法学者たちには「悪霊に取りつかれている」と非難され、イエスの家族が会いに来る話が続きます。
4章ではイエスが小舟に乗って湖にいる群衆に向かって、いくつかのたとえ話をします。たとえ話の意味を知りたいと尋ねる弟子たちには、たとえで群衆に話す理由と、たとえの解説をします。この続きが今回の箇所です。
黙想のポイント
・「なぜ怖がるのか」とイエスが弟子たちに問いかけられた意味を黙想しましょう。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
*いつも参考になる聖書教育誌※ですが、今回の箇所は最初の「おはなし」から少年少女科の「コラム」まで、とてもバランスよく内容が構成されており、一貫して内容理解を深めることができ、小グループでの話し合いがしやすい内容になっています。聖書教育誌をお持ちでない方は、購読をこの機会に始めてはいかがでしょうか。
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。
http://www.bapren.com/index.html
(『聖書教育』ホームページ)
◆突風を静める
4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。
>>>大雑把に縦に20km、横に10㎞のガリラヤ湖でした。押し寄せる群衆のことを考えても、陸に戻るのは難しく、それが最善の選択だったのでしょう。
4:36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。
4:37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。
>>>ガリラヤ湖にはその地方特有の突風が山間から激しく突然吹き、瞬く間に湖が大荒れになることがあったようです。熟練した漁師たちでも命の危険を感じるほどのものたっだのです。
4:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。
>>>この話はマタイによる福音書8章、ルカによる福音書8章にも同類の話があります。ご参照下さい。
4:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。
>>>黙れと自然現象を擬人化して叱るイエスでした。マルコによる福音書1章にはイエスが安息日に会堂で行われた最初の奇跡物語が語られていますが、その時もイエスは悪霊に向って「黙れ。この人から出て行け」と命じています。悪霊であれ、自然現象であれ、病であれ、主イエスは人々を苦しめ、神から遠ざけるあらゆる存在に対して、神の権威によってそれらを退けて行かれる姿が至る箇所で語られています。
4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
4:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。
>>>聖書教育誌でも触れているように、弟子たちが「非常に恐れて」とは「恐れに恐れて」(岩波訳)と訳すことができ、自然現状に「恐れ」を抱いていた弟子たちが主イエスへの畏敬の念を込めた「畏れ」と平安に変えられていく場面です。
◆話し合いのポイント(聖書教育誌と連動させて…)
・40節で「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」と主イエスが弟子たちにした問いの意味を共に考え、私たちの日常にどう適用できるか分かち合いましょう。
参考…これらをヒントにしてはいかがでしょうか
*聖書教育誌42ページの「話し合いのポイント」には、「イエスさまが共にいて下さるということ自体が福音」という理解に立ち、「どうしたら、眠っているイエスさまから平安を得ることが出来るでしょう。」という視点で問いがなされています。
*43ページの少年少女科の活動の項目では「私たちは案外怖がらなくていいものを怖がり、本当におそれなければならないものをおそれていないことはないでしょうか」との問いがなされています。
*どんなに怖い状況でも、それを上回る安心や出来事があると、その怖さを忘れることがあります。主イエスはそのような大きな方だと感じたことはないでしょうか。
*マタイによる福音書28章20節「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」この約束は現代に生きる私たちにも希望ではないでしょうか。