西川口キリスト教会 協力牧師 朴 思郁
しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。
フィリピの信徒への手紙3:7
アメリカの作家、トリーナ・ポーラスが書いた創作童話『ぼくらの未来-花たちに希望を(Hope for the flowers)』(旺文社、1999)は、一匹の毛虫「ストライプ」が自分探しをしていく内容を描いていることで、児童文学でありながら大人たちにも愛読されています。それは人間の生きる本当の目的を失った空虚な競争の中で、「もっと何か、生きる意味があるのだ」という希望のメッセージを現代人に発信しているからであると思われます。毛虫の「ストライプ」が自分探しを通して「蝶々の世界」という別次元の世界に目覚めさせられる内容は、日常の陳腐さに埋没され機械的に生きている現代人に新鮮な刺激となったに違いないのです。
使徒パウロは、イスラエル人の中でも最も嘱望されているエリートの一人でした。しかし、復活のイエスに出会ってから、彼の人生には激変が起こりました。人生における「コペルニクス的転回」を迎えられたと言えるでしょう。それは彼を取り囲む環境が変わったわけではありません。むしろ彼の内面、すなわち彼の見方が変わったのです。「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです」という告白は、これまで自分を支えてきた生き方を変えるようになったという新たな自己認識でした。
私たちが信仰に生きるというのは、聖書を読む、祈る、奉仕をするなど、キリスト教に関する経験、知識、習慣などを積んでいくことを意味するのではありません。それらはあくまでも信仰の手段であって目的ではありません。私たちが目指すべき目的は、私たちそれぞれの内面的な変化なのです。つまり、これまで自分を中心として生きてきた自己中心的な生き方ではなく、キリストを中心とする生き方、いわゆる「逆説の生き方」を生きることによって、キリストに惹かれて、キリストに倣う者として変えられていくことではないでしょうか。