西川口キリスト教会 協力牧師 朴 思郁
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」(コヘレトの言葉12:1a)
「メメント・モリ」とは、「死を記憶せよ」、つまり「自分はいつか必ず死ぬ存在であることを忘れるな」という意味のラテン語です。それは古代ローマで将軍の凱旋パレードを行なった際に使われたことから由来します。将軍の後ろに立つ使用人が「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせるために「メメント・モリ」を唱えていたのです。それ以来「メメント・モリ」は、キリスト教にも援用されました。
中世の修道院では、修道士たちが朝ごとに「おはようございます」という挨拶のように「メメント・モリ」という言葉を交わしていたと伝えられています。植民地時代のアメリカの清教徒たちも「メメント・モリ」を信仰の座標、人生の座右の銘として心に刻んでいたと言います。「メメント・モリ」は、死は誰もが避けては通れない事柄であることを思い起こして、今を「いかに生きるか」を真剣に考えさせる機能を果たしていたのです。
私たちは、日常の中で直接あるいは間接的に様々な「死」を経験しています。にもかかわらず、私たちにとって死はできるだけ避けたい、自分とは無関係で、いつまでも他人事であってほしい事柄であるかもしれません。しかし私たち人間は、生きていながら死に向かっている存在です。人間存在そのものが、生と死を切り離すことのできない存在なのです。死を意識することで、「いかに生きるか」を真摯に考えるようになるということです。
年に一度、ご親族や知人の方々と共に召天者記念礼拝を行う意味について思い巡らします。その一つは、お祈りのうちに主のみもとに召された愛する方々を偲びつつ、信仰の仲間たちと互いに励まし合い、いずれ再会する希望を新たにすることです。さらに、いま私たちは「いかに生きているのか」を改めて覚えることであると思います。日々の生活の中で、常に「創造主に心を留めながら」それぞれの人生に最善を尽くしていけたらと思います。