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主日礼拝宣教要旨

2017年8月6日(日) 礼拝宣教要旨 「主を喜ぶことこそわが力」 ルカによる福音書1章46-55節

西川口キリスト教会 協力牧師 朴 思郁

「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1:47)。

一般に、イエスの母親マリアに対するイメージは、いわゆる「良妻賢母」です。その背景には、中世のキリスト教における「無原罪の聖マリア」「マリア崇拝」などの教義を考案した神学をはじめ、文学、絵画などに描かれているイメージの影響が考えられます。しかし、宗教改革以降、マリアのイメージには大きい変化があり、近年のマリアに対する理解には、霊的な解釈だけではなく、社会政治的、社会経済的の側面から「マリアの賛歌」に示されている精神を新たに評価する立場もあります。

「マリアの賛歌」を吟味すると既存の慣習を打破し、救い、自由、正義などをもたらす「神の革命」を喜びたたえる内容が綴られています。たとえば、「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし」(1:51)は宗教的・道徳的革命を、「権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ」(1:52)は社会的・政治的革命の精神を、「飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」(1:53)は経済的革命を促します。マリアの賛歌が「革命の賛歌」と呼ばれている理由です。

私たちは、「マリアの賛歌」から今日における信仰の姿勢を教えられます。「身分の低い、この主のはしためにも」(1:48)には、常に神の前にへりくだり、主に信頼して生きる生きざまが示されています。また、「マリアの賛歌」は、単なる自分だけの霊的な事柄にとどまらず、政治的、経済的、社会的状況の中におかれている無数の他者、社会的弱者に対する関心を示しています。まさに私たちの信仰は「生の全領域における信仰」であることを教えられるのです。そして預言者ネヘミヤの「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ8:10)という告白と一脈相通ずるものがあります。自分の無力さに絶望しつつ、「革命」の主体である神の御手に委ねて生きることを自分の生き方と受け止めるのが、この時代を生きる「マリア」としての信仰の姿勢なのです。

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