西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
総合テーマ 「神の忍耐と決断」
◆前回からの流れ
前回の6章は箱舟に入るまでの準備について神がノアに指示した箇所でした。今回省略された7章は箱舟に入る指示と大雨が降って地上がすべて水に覆われたことが語られます。
特に7章で押さえておきたいのは、聖書の神が事前にこれからなされることを預言者に話されるということです。神はノアにこれから40日40夜、雨を降らせるという具体的な計画まで知らせました。7章11節には、ノアが六百歳になった2月17日に大雨が始まったことが語られています。その後地上がすべて水で覆われて150日間その状態が続いたと聖書は伝えます。
今回の箇所はその続きとなります。
黙想のポイント
・神がノアに寄り添い、助言し、手伝っている様子を読み取りましょう。また、ノアに語りかける神の温かい言葉に傾聴しましょう。
◆今回の箇所…
8:1 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。
>>>神がすべての箱舟の中にいる生き物たちに心を留めていることが語られます。神が優しく地の上に風を吹かせられる情景を思い浮かべてみましょう。
8:2 また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、
8:3 水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、
8:4 第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。
>>>歴史上類を見ない地球全体を覆うほどの洪水の原因は天からの雨だけでなく、深淵の源から湧き出た大水の存在があったことがわかります。何らかの理由で膨大な地下水なども地上に溢れ出たことを意味するのでしょうか。
確かに雨だけで全世界の山々を覆うほどの量になるとは考えられませんし、わずか数ヶ月で地球全体を埋め尽くしていた海水が蒸発するとも考えられません。大量の水がもとあった地中のどこかに戻ったとしか考えようがありません。また、アララト山の上に箱舟が止まったというのですから、箱舟が平地ではなく、山の中腹以上の標高の高い所に止まったことが語られます。これらのことを通して、聖書は一部の中東の地域で起きた大規模な洪水ではなく、明らかに世界規模で起きた洪水であることを物語っています。
8:5 水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。
8:6 四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、
8:7 烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。
8:8 ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。
8:9 しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。
8:10 更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。
8:11 鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。
>>>最初にノアは烏を調査のために放したことが語られます。その次に鳩を用いたことが語られます。この箇所には聖書に度々登場する象徴的な鳥である烏と鳩、そしてオリーブの葉が登場します。特に鳩がオリーブの葉をくわえて戻って来る情景は希望と平和と生命力を感じさせます。
8:12 彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。
8:13 ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。
8:14 第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。
>>>7章の11節にはちょうど一年前に雨が降り始めたことが語られていました。
8:15 神はノアに仰せになった。
8:16 「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。
8:17 すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」
8:18 そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。
8:19 獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。
>>>少しこの情景を思い浮かべ、それぞれの生き物がどのような気持ちで箱舟から出たのか想像して見ましょう。「さあ」という言葉に込められた神の気持ちを想像してみて下さい。神は創世記1章で世界を創造された時と同じ祝福の言葉を生き延びた生き物たちに語りかけておられます。
8:20 ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。
>>>聖書で初めて祭壇という言葉が登場します。祭壇を築づくことによって、特別に記念すべき礼拝を捧げずにはおられないノアの気持ちを汲み取りたいと思います。かつてアベルも貴重な命ある動物を神に献げていますが、ノアもまたせっかく生き延びた貴重な命ある動物を神に献げることを通して、神が罪をあがなって下さったことへの最大限の畏敬の気持ちを表したと考えられます。この思想は創世記3章で最初に神が罪責に苦しんでいたアダムとエバのために、自らの手で行われた動物の命をあえて犠牲にする儀式に由来するものと考えられます。ノアが清い生き物だけを選んで神に献げている点にも、ノアが最善のものを神に捧げようとしている信仰姿勢が伺えます。
8:21 主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。
8:22 地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」
>>>ノアの献げ物が宥めの香りがしたと聖書は表現しています。現代の礼拝ではもはや実際に祭壇で犠牲を神に献げることはないため、このような場面を体験することはできません。私たちの献げ物がたとえ実際には煙を放たなくても、この時と同じような神にとって心地よい香りが届いているかどうか、考えさせられます。神にとって宥めの香りとなる礼拝を共に捧げて参りましょう。
分かち合いのポイント
・できれば7章の内容に触れながら洪水箇所全体について神がどのように関わり、配慮されながらノアたちを見守られたのか、互いに分かち合いましょう。