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主日礼拝宣教要旨

2017年6月11日(日) 礼拝宣教要旨 「信仰を捨てる勇気」 ヨハネによる福音書 9章1〜12節

西川口キリスト教会 協力牧師 朴 思郁

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)。

私たちの信仰はどのように形成されているのでしょうか。それぞれの信仰の歩みを振り返ってみるといろいろな出会いや様々な出来事によって自分の信仰が成り立っていることに気づかされます。ヨハネによる福音書9章に記されている、一人の名前も知られていない生まれつきの目の見えない人は、自分の視覚障害は、自分の罪もしくは両親の罪によるものであると信じていました。当時のユダヤ社会では、ある人の生まれつきの障害は、「本人、もしくは両親の罪によるものである」と見なしていたことは、イエスの弟子たちがイエスに質問する内容を通して明らかになっています。イエスの弟子たちでさえも、何のためらいもなく、世間一般の社会的通念をそのまま受け止めていたのです。

生まれつきの視覚障害者の彼は、極めて差別的な信仰理解がどこから由来したのか、本当に神からの懲罰なのか、もしくは社会的偏見にすぎないのか、一度も疑うことなく、その社会で通用されていた罪の概念を鵜呑みにしていたのでしょう。しかし、イエスは弟子たちの質問に対して、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない」とお答えになりました。当時の社会通念を覆すような主張でした。そして視覚障害者の彼は、思いもよらないイエスとの出会いによって重大な決断を迫られました。これまで一度も疑うことなく信じてきた信仰そのものが根底から覆される転機を迎えたのです。

言い換えれば、彼は勇気を持ってこれまで社会通念に従ってきた信仰を果敢に捨てて、新しくイエスに従う信仰へ招かれたのです。もし彼がこれまでの自分の信仰に拘り続けて、「信仰を捨てる勇気」がなかったとすれば、「イエスと共に歩む新しい信仰」の世界を経験することはできなかったでしょう。常に自分の信仰を聖書に照らし合わせながら、日々新たにされていくものでありたいと願います。

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