2017年3月5日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「親子4代による礼拝の始まり」創世記第4章25節-5章11節
「セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」26節
いよいよ今回のシリーズの最終章、第5章に入って行きます。創世記の第5章は、ただの家系図のように受け止められがちですが、ここには信仰継承の祝福が語られています。カインとその子孫が神から遠ざかって行く一方で、正しい礼拝を始めて行ったのがアダム、セト、エノシュと続いて行く今回の系図です。
4章26節に、アダムから数えて3代目のエノシュの時代に「主の名を呼び始めた」とあります。アダム夫婦も、その子のカインとアベルも神に献げ物をするという意味では礼拝をすでに行っていました。しかし、それは個人的な礼拝で、家庭礼拝の域を出なかったと言えます。やがてアダムの息子、娘たちが結婚し、それぞれに子どもたちが生まれていく中で、エノシュの時代には親子4代の人々が同時代に生きることになりました。こうしてこの時代に複数の家族が村を形成しながら一緒に生活し、協力して共に礼拝を始めたのが「主の御名を呼び始めた」という表現だと考えられます。
ユダヤ教においては成人男性が10人以上いないと礼拝は成立しないという考え方があります。もちろん10人以下の集会であっても、聖書的には神が臨在して下さることは言うまでもありません。しかしユダヤ教では一定の人数以上で役割分担をし、祈りを合わせなければ礼拝は成り立たないという理解が存在するのです。神から遠ざかって行く人々が増えて行く時代、正しく信仰を継承していくための、神から授かった大切な知恵だったのかも知れません。
今日私たちもこの信仰のバトンを引き継いでいる者たちです。神の御心に適う礼拝を共に主に捧げて参りましょう。教会歴ではレント(受難節)に入りました。世界中のクリスチャンが断食などを取り入れながらキリストの十字架の贖いを覚えて過ごします。古代の礼拝の中心は、罪のあがないへの感謝であったことを踏まえ、原点に立ち返って礼拝を共に捧げましょう。