2017年2月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 2/19 マタイ13章44-50節「「天の国」に生きる」
総合テーマ 主イエスの福音宣教の特色
◆前回からのあらすじ…
12章の後半ではベルゼブルについて、しるしについて、また汚れた霊についてファリサイ派の人々や律法学者たちと論じる話、そして主イエスの家族が訪ねて来る話が続きます。13章前半は様々なたとえが語られます。「種まく人」、「毒麦」、「からし種」、「パン種」と続いて今回の個所になります。なお、「毒麦」のたとえより悔い改めて神に立ち帰らない人々が受ける「燃え盛る炉の中に投げ込まれる」裁きについて語られ、今回の個所で繰り返されます。
黙想のポイント
*たとえに出て来る宝や真珠を手に入れることの必要性について、主イエスはどのように考えておられるでしょうか。黙想しましょう。掛け替えのないものを手に入れることが出来た人と出来なかった人との違いについて主イエスはどのように語っておられるでしょうか。
◆「天の国」のたとえ
13:44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
13:46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
>>>最初の二つのたとえで注目すべき点は、宝あるいは真珠を手に入れるためには借金をするだけでは足りず、全財産を一時的に犠牲にする必要があることです。その人は家族を養っていたかも知れません。その他どんな状況があったにせよ、すべてを犠牲にし、目的物を手に入れる覚悟が語られているのです。私たちの身に置き換えて考えて見る時、すべてをそこに掛ける信仰、それが今回のたとえで問われているように思います。天の国を自分のものにすることは、それだけの価値があるということです。
もう一つここで問われることは、私たちが対象物の価値を正しく理解できるかどうかです。人間はしばしば本当は大切ではないものに時間、お金、労力を費やしてしまいます。これに対し、主イエスは天の国こそ私たちが最優先に求め、人生をかけて手に入れるべきことだと語られます。
13:47 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。
13:48 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。
13:49 世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、
13:50 燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
>>>前半とは対照的に、天の国に生きることに失敗した人々がどんな結末を迎えるかについて語られます。当時誰もが想像できる漁師による魚の選別のたとえを例に挙げて、獲れた魚の中から悪いものが選り分けられ、投げ捨てられるように、世の終わりの時には神の御心を無視し、天の国に生きることに失敗した者たちに待ち受ける悲惨な結末が語られます。
彼らは最終的に燃え盛る炉の中に投げ込まれるという裁きを受けます。「そこで泣きわめいて歯ぎしりする」とは、その裁きがいかに耐え難く、苦痛が伴い、後悔してもし足りないことが表現されています。
従って、主イエスの天の国への招きは極めて重要なものであり、すべての人に必ず見出してもらいたいものであり、決してその祝福を逃して欲しくないものとして語られているのです。主イエス・キリストが十字架を自ら担われたのも、その一途な思いからであったと言えるでしょう。
分かち合いのポイント
・主イエスがあらゆるたとえを用いながら人々に天の国の祝福と、その祝福を受け損ねることの災いについて語られたように、私たちはどのようにして天の国を伝えることができるでしょうか。分かち合いましょう。