2017年2月12日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「カインに下された神の裁き」創世記第4章8-16節
「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。」15節後半
アベルが育てた大切な羊を犠牲として殺したのとは対照的に、カインは利己的な動機で弟アベルを殺害してしまいます。両親が初めて罪を犯した時と同様に、カインに神が最初に語りかけた言葉は「お前の弟アベルは、どこにいるのか」でした。続けて神は母のエバに語りかけた時と同様に「何ということをしたのか…」と語り、神がご存知であることと罪の重大さを理解させようとします。その上で神が下された裁きは、13節でカイン自身が「わたしの罪は重すぎて追いきれません。」と告白するほど最適なものでした。
神の裁きは、重罪人に下す厳しい裁きではありましたが、同時に愛と憐みに富んだ裁きでもありました。カインに下された裁きは、これまで父アダムと行っていた農耕ができない環境に追放することによって、弟アベルが行っていたように家畜を飼う(遊牧民の)生活を営ませるものでした。こうしてカインは命を育てる厳しさを自ら体験することになり、弟アベル同様に命の尊さを理解させようという神の意図があったと考えられます。
しかし、罪の影響を以前にも増して受けていたカインは、人生に対する絶望と復讐に対する恐れに取りつかれていました。聖書はこれまでの時間的経過を詳しく述べていませんが、すでに多くの年月が経ち、アダムとエバの子どもたちがさらに増えていたことが前提になっていると考えられます。そのため、カインは兄弟たちから復讐されて殺されることを恐れますが、神は彼に特別なしるしを与え、殺されないように守ることを伝えます。そのしるしは神がカインの罪をあがなったことを示すようなしるしだったのかも知れません。世界最初の殺人事件に対する神の裁きは、厳しくも悔い改めを導く、愛と憐みに満ちたものだったことが分かります。しかしながら、カインはそれを理解することができず、主の前を去って行ってしまいます。
それを見送っていた神の眼差しは、人類の罪をあがなわれた主イエス・キリストの十字架上の眼差しと同じだったのではないでしょうか。