西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「キリスト者の立ち位置と視点」エレミヤ書6章16節前半
主はこう言われる。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ/どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」
人生において、立ち位置や視点は様々です。年間主題聖句にある「さまざまな道に立って、眺めよ」とはどのような立ち位置と視点に立つことを意味するのでしょうか。
預言者エレミヤがこの預言の書を書いたのはイスラエルが南北に分裂し、北王国イスラエルがアッシリア帝国によっていち早く滅ぼされ、その後にバビロニア帝国によって南王国ユダも滅ぼされそうになっていた時のことです。外国の脅威に悩まされ、その影響を受けながら次第に神を裏切り、誤った生活態度と信仰に向っていた時に神がエレミヤに託した言葉です。
彼らに必要だった視点とは、8節前半にあるように「懲らしめを受け入れよ」という視点でした。これは「懲らしめを受けよ」と強制的に神の懲らしめを受けることではなく、主体的に神の懲らしめ(試練)を受け止めることを指します。ヘブライ人への手紙2章18節には、試練によって苦しんだ経験が後で他の人を助ける力となることを語っています。また、ルカによる福音書22章32節では、キリストも「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と語っています。私たちに求められている立ち位置と視点とは、自分や人の過ちによって傷つき、怒り、失望し、心穏やかでなくなる時に、その苦しみを自分や他者に間違った仕方でぶつけるのではなく、神からの「懲らしめ」として受け入れることです。何故なら、神がその出来事を通してあなたを神の目的のために用いることがお出来になるからだとエレミヤは語ります。しかも、この視点に立って人生を歩むことは今回の聖句の最後の部分にあるように「その道を歩み、魂に安らぎを得」ることにつながるのです。私たちは絶えず傷つき、疲れ、心が乱される時代に生きていますが、キリストにある平安に包まれて生きる道と希望に歩みましょう。