西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
総合テーマ「変わることのない神の約束」
◆今回の学びを始めるにあたって:イザヤ書について
・旧約聖書の中での位置…旧約聖書は大別して 律法の書、歴史の書、詩歌の書、大預言の書、小預言の書に分類されるが、イザヤ書はその中の大預言書(イザヤ、エレミヤ、哀歌、エゼキエル、ダニエル)の最初に登場する。
・イザヤ書は新約聖書で最も引用されている書である。
・ マタイ福音書6箇所、以下マルコ2、ルカ2、ヨハネ4、使徒3、ロマ5の計22か所
・今回の箇所は、近年の研究では第二イザヤ書と呼ばれる区分の最初の章
第一イザヤ1~39章…様々な国や地域とその指導者や民の罪に対する神の裁きについて預言、
第二イザヤ40~55章…罪のあがないによる神の救いについての預言、
第三イザヤ56~66章…新しい民の礼拝についての預言
・イザヤが活躍していた時代…すでにイスラエルが北王国イスラエルと南王国ユダの二つの王国に分裂していた時代。イザヤ書1章の1節に「アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである。」とあることから、イザヤが南王国10代目ウジヤ王~13代目のヒゼキヤ王の時代に活躍していたことが分かる。紀元前760年~680年頃まで。
・同時代にはホセア、アモス、ミカなどの聖書に登場する預言者がいる。
・なお、イザヤが南王国で活躍していた時代、紀元前721年頃に北王国イスラエルはアッシリア帝国によって陥落し、北王国の民はいち早く捕囚で連れ去られてしまう。
黙想のポイント
・40章はバビロン捕囚からの解放や4福音書で活躍するバプテスマのヨハネを連想させます。それらを意識しながら黙想しましょう。
◆帰還の約束
40:1 慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。
40:2 エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。
>>>これらの表現はバビロン捕囚からの解放や主イエスの十字架による罪のあがないを連想させます。
40:3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
>>>この箇所は新約聖書に登場するバプテスマのヨハネを連想させます。
*マタイ福音書3章3節に「これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」と引用されている箇所です。
他にもマルコ 1章3節、ルカ3章4節、ヨハネ 1章23節と4福音書全部に引用されています。
40:4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
40:5 主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
40:7 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等い。
40:8 草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
>>>「神の言葉はとこしえに立つ」この言葉の通りにイスラエルの民は、神に背いて偶像礼拝に傾いたために外国の脅威にさらされ、捕囚の憂き目に遭います。そして、悔い改めた民は神の憐みによって奴隷の身から解放されていきます。そして主イエスの時代には再び神殿で礼拝を再開するまでに至ります。しかし、再び歴史は繰り返し、イスラエルはローマ帝国によって滅ぼされ、やがて1900年代になって再び建国が赦されます。ただし、神殿における礼拝はいまだ実現していません。しかし、これもやがては実現することでしょう。「神の言葉はとこしえに立つ」からです。
分かち合いのポイント
・聖書の言葉が真実だと実感した体験について分かち合いましょう。