西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
総合テーマ 「変わることのない神の約束」
◆今回の学びを始めるにあたって
今回の箇所は直前の45章、そして今回の箇所の直後の箇所も合わせて読むことによって聖書の神の特徴を探りたいと思います。
黙想のポイント
バビロン帝国の偶像の神と聖書の神との対比が際立つ箇所です。どのような違いがあるか黙想しましょう。
◆バビロンの偶像
46:1 ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ/お前たちの担いでいたものは重荷となって/疲れた動物に負わされる。
46:2 彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず/彼ら自身も捕らわれて行く。
>>>ベルは太陽神マルドゥク(エレミヤ50章2節参照)と考えられており、ネボはベルの子で学問の神と考えられていたようです(新聖書講解シリーズイザヤ書289P)。この預言の光景というのは、ペルシャ帝国に敗北したバビロンの支配者たちが彼らの守護神であるベルとネボの神を家畜に背負わせて逃げている場面です。本来は彼らを守るはずの存在が、彼らを助けず、足手まといになっていることが表現されています。
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。
46:4 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
>>>バビロンの偶像神がいざという時に役に立たず、足手まといになっているのに対して、聖書の神は生まれてから老いる時まで常に共にいて、背負い続けて下さる神だと言うことが強調されています。まさに愛と忍耐と責任を追って下さる神として表現されています。
*これほどの決意を持っておられる聖書の神とはどのような神なのか。次に今回の聖書箇所の前後から特徴的な聖書箇所を引用しましょう。
45:3 暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。あなたは知るようになる/わたしは主、あなたの名を呼ぶ者/イスラエルの神である、と。
>>>聖書の神は「わたしは主、ほかにはいない」と繰り返し真実の神はただひとりであると主張し続けています。その神は豊かさを与え、名前を呼んで下さる人格的な神であり、
45:5 わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。わたしはあなたに力を与えたが/あなたは知らなかった。
>>>本人たちは気づいていなくても世界の王たちをご計画に従って用いられる神であり、
45:6 日の昇るところから日の沈むところまで/人々は知るようになる/わたしのほかは、むなしいものだ、と。わたしが主、ほかにはいない。
>>>世界中の人にその栄光ある存在を知らしめる神であり、
45:8 天よ、露を滴らせよ。雲よ、正義を注げ。地が開いて、救いが実を結ぶように。恵みの御業が共に芽生えるように。わたしは主、それを創造する。
>>>救いを実現させ、恵みの御業を創造する神であり、
46:9 思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。
>>>常に最初から変わることのない唯一無二の神だと主張し、
46:10 わたしは初めから既に、先のことを告げ/まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り/わたしは望むことをすべて実行する。
>>>常に聖書の預言通りにご計画を実行し続けておられる神であり、
46:11 東から猛禽を呼び出し/遠い国からわたしの計画に従う者を呼ぶ。わたしは語ったことを必ず実現させ/形づくったことを必ず完成させる。
>>>国を越えてあらゆる存在を用いながら御業を必ず完成される神だということが表現されています。
分かち合いのポイント
・聖書の神は異教の偶像神との違いを明確にして下さる神です。その神に愛され、救われ、導かれている者として、私たちは様々な生活の場面で、どのようにキリスト者としての違いを表すことができるでしょうか。神社参拝や他宗教による結婚式や葬儀に参列する必要ができた場合などに、キリスト者としてどのように証しを立てることができるか分かち合いましょう。