西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
「主はこう言われる。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ/どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」
エレミヤ書6章16節
3回シリーズで理解を深めている今年度の年間主題聖句がエレミヤ書6章16節です。前回は「さまざまな道に立って、眺める」ことに焦点を当てました。エレミヤにとってこの言葉は、試練を神からのこととして主体的に受け止めることを意味しました。そして、私たちへのチャレンジとして試練のただ中にいる時こそ、十字架の上での主イエスの執り成しの祈りのように、親身になって同様な試練の中にある他者のために執り成し祈ることの大切さを示されました。
今回は「昔ながらの道に問いかけて見よ」に焦点を当て、当時のイスラエルの民にとってこれは聖書の律法の書や歴史の書を指す言葉だということを共通認識としました。そこで聖書の歴史に目を向けると、イスラエルが最も厳しい試練の中にある時ほど、神の特別な御業が働いていたことが確認できます。絶えず外敵の脅威にさらされ、偶像礼拝の影響を受けていた当時の南王国の民に、エレミヤは変わることのない神の真実に目を向けさせるために「昔ながらの道に問いかけて見よ」とイスラエルの民に呼びかけました。
そして、エレミヤ書の1章7b~8節を通して、「行って/わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す。」と導かれる神の御言葉に信頼し、自己評価に基準を置くのではなく、どんなに不完全で未熟な者であっても御業のために用いて下さる主なる神の選びと招きに従うことの大切さを示されます。世界中で親しまれている『主われを愛す』の最後の部分の英語の歌詞は「The Bible tells me so」です。どんなに弱く未熟な存在であっても、主イエスが愛して下さっているので、恐れることはない。聖書がそう証言しています。