西川口キリスト教会 斎藤 信一郎
牧師総合テーマ 「 苦難に正しく向き合うための信仰 」
◆今回の学びを始めるにあたっての前提
4章~14章にかけて、ヨブを訪ねて来て、7日間共に無言のままだった3人の友人たちとの対話が繰り返されます。最初はテマン人エリファズ、次にシュア人ビルダド、そして3番手はナアマ人ツォファルです。両者の対話が一段落したところで、突然第4の人物エリフが登場します。32章から37章までこのエリフの言葉が続き、その後に今回の38章から主なる神が登場して、ヨブ記も大詰めを迎えます。今回と次回でヨブ記の中心テーマに迫りましょう。
黙想のポイント
・これまでの箇所を通して、それぞれヨブ(妻を含む)、三人の友人、エリフ、サタンそして神の言葉を聞くことができました。そこで今回は38章の1~3節までの神の言葉を読んだ後で、4章から始まるヨブの3人の友人の中の最初の登場人物エリファズの会話の中の12~21節が果たす役割、そして37章14節に凝縮されたエリフの主張のポイントを黙想し、再度38章4~11節に戻ってヨブ記の中心テーマの理解を深めて行きましょう。
◆主なる神の言葉
38:1 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
38:2 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは。
>>>神の経綸とは、聖書教育誌(41p)が解説しているように「神の計画とその実現のこと」と捉えて良いでしょう。するとここで神がヨブに語っていることとは、神のご計画とその計画の実現のために、どうして現在のようなことがヨブの身に起きているのか。つまり、神がヨブに対して期待しておられる人生の使命や、さらなる信仰成長の領域に対して、ヨブ自身が知ることを諦めて心を閉じてしまっていることに対する指摘ということになります。
38:3 男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。
>>>この帯について新約聖書エフェソ人への手紙6章13~14節では、人生における戦いのための神が与えて下さる6つの武具の中の最初の武具として登場します。
「だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、
神の武具を身に着けなさい。 6:14 立って、真理を帯として腰に締め、…」
この箇所においての重要な論点は、この世はサタンが猛威を振るう世界であり、神からの使命とご計画をすべて成し遂げるために、6つの必須アイテムを身に着けることを呼び掛けています。その最初のものこそ、真理の帯でした。即ち人生の究極の使命に目を向け、理解して生きることでした。それなのに、何故ヨブと友人たちはその目的を見失ってしまったのでしょうか。次に4章12~21節にある重要な手掛かりを見てみましょう。これはヨブの3人の友人の中の最初の登場人物であるエリファズの4章から始まる最初の会話の一部です。その中で彼は身の毛もよだつ恐怖体験をしたと語ります。
4:12 忍び寄る言葉があり/わたしの耳はそれをかすかに聞いた。
4:13 夜の幻が人を惑わし/深い眠りが人を包むころ
4:14 恐れとおののきが臨み/わたしの骨はことごとく震えた。
4:15 風が顔をかすめてゆき/身の毛がよだった。
4:16 何ものか、立ち止まったが/その姿を見分けることはできなかった。ただ、目の前にひとつの形があり/沈黙があり、声が聞こえた。
4:17 「人が神より正しくありえようか。造り主より清くありえようか。
4:18 神はその僕たちをも信頼せず/御使いたちをさえ賞賛されない。
4:19 まして人は/塵の中に基を置く土の家に住む者。しみに食い荒らされるように、崩れ去る。
4:20 日の出から日の入りまでに打ち砕かれ/心に留める者もないままに、永久に滅び去る。
4:21 天幕の綱は引き抜かれ/施すすべも知らず、死んでゆく。」
>>>この出来事はヨブに7日間無言で寄り添っていた時に起きたものと考えられますが、その恐怖体験が、彼らをヨブの苦しみに寄り添う側から、ヨブの罪を責める側へといざなったのかも知れません。その存在は闇にまぎれてはっきりとは見えませんが、12~16節で表現しているように、その存在がそばに近づくだけで恐れとおののきが臨み、骨がことごとく震え、身の毛がよだつようなものでした。そして17節以下のように告げたのです。その内容とは17節…人間の罪深さ、18節…神の僕たちへの信頼のなさと無慈悲さ、19~21節…すべての人間の滅びの運命についてでした。この存在とその言葉のために恐怖に支配された彼らは、ヨブに臨んだ事は自分たちにも起こり得ることを悟ると同時に、その恐怖から逃れるために、自分たちの罪の問題をヨブに責任転嫁せざるを得なかったのでしょう。今日でも心に大きな傷が出来て耐えられない時、自殺する人や逆に他人を傷つけてしまう人のなんと多いことでしょうか。ヨブの3人の友人たちも、この得体の知れない恐怖との遭遇と義人ヨブが受けている壮絶な苦しみを目の当たりにして、彼らの人間的弱さが表に出て来てしまったものと考えられます。これに対して4番目の登場人物エリフはどうでしょうか。彼の信仰理解がはっきりと表現されている37章14節を見ましょう。
「ヨブよ、耳を傾け/神の驚くべき御業について、よく考えよ。」
>>>エリフはすでに確認したように、ヨブの側に常に立っていました。そして、ヨブに今最も必要なこととは神の御業に目を向けることだと言います。ここが他の3人の友人たちと決定的に違うことでした。エリファズたちは苦しんでいるヨブにヨブ自身の罪に目を向けさせようとしました。しかし、エリフは神の御業に目を向けるように励まします。こうしてエリフの仲介によって再び自分自身の人生にではなく、神の創造のご計画に目を向け始めたヨブに、神は直接御言葉をかけて行くのです…。そこで再び、今回の箇所に戻りましょう。
38:4 わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。
38:5 誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。
38:6 基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか。
38:7 そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い/神の子らは皆、喜びの声をあげた。
>>>神がこの壮大な世界をご計画に従って創造された時、神の被造物たちが賛美に沸いたと表現します。即ち真実の神を賛美する礼拝が同時に産声を上げたと語ります。
38:8 海は二つの扉を押し開いてほとばしり/母の胎から溢れ出た。
38:9 わたしは密雲をその着物とし/濃霧をその産着としてまとわせた。
38:10 しかし、わたしはそれに限界を定め/二つの扉にかんぬきを付け
38:11 「ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。
>>>ここで表現されていることは難解です。少し思い切って解釈して見ますと、この二つのこととは、人生における二種類の災いのことかも知れません。一つは自分以外の人に臨む災い、もう一つは自分自身に臨む災いです。これはヨブの第一と第二の災いに連動しています。神はこの二種類の災いが人生に及ぶことを許されたというのです。ただし、10~11節に語られるように神は初めからそれに制限を設けられたというのです。なぜ、神はこのようなことをなされたのか、次回最終回はヨブの人生に求められているさらなる信仰成長の領域について、御言葉に示されて行きましょう。
分かち合いのポイント
・ヨブ記をどこか恐ろしいと感じ、積極的に読んでこなかった方も多いのではないでしょうか。今回の学びを通してヨブ記の見方、捉え方はどう変わったでしょうか。互いに分かち合いましょう。