2017年1月8日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「罪の誘惑の始まり方」創世記第3章4-7節
「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。」3章6節
園の中央にあった善悪を知る木の実は、とても魅惑的な存在に見えたことでしょう。4節に「いかにもおいしそうで」とあるように、エバの食欲に働きかけて誘惑して来ます。次に「目を引き付け」とあるように美しいものに魅かれるという美的欲求にも働きかけます。更に、「賢くなるように唆していた」とあり、人間の知的欲求にも働きかけています。それらの誘惑によってエバはついに欲しいという思いが頂点に達して、善悪を知る木の実を手にしてしまいます。しかも、彼女は夫、アダムにも与えることによって神の掟に背く罪を夫にも犯させようとしてしまいます。
アダムは始めからエバと一緒にいたのですから、本来ならばエバを引き留めなければならない立場に居ました。しかし、彼はエバに忠告せず、止めませんでした。ヤコブ書4章17節に「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。」とあるように、彼も同罪と言えます。その結果、彼らは目が開け、自分たちが裸だという自覚が生じます。これは、人には見られたくない、恥じる心が生じたことを表しています。もはや、お互いにすべてをありのままに分かち合い、受け入れ合える関係ではなくなってしまったのです。
そこで彼らが取った行動とは、罪を恥じる感覚が強く生じた下腹部を、近くにあったいちじくの葉をつづり合わせて腰を覆うというものでした。もしかすると善悪を知る木とはここで初めて登場するいちじくの木だったのかも知れません。結局彼らは神の唯一の戒めを破ることによって、十戒の最後の戒「隣人の家をむさぼってはならない。」を破り、結果的に第一戒である「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」という神との根本的な約束を破ってしまうことになりました。新年に当たり、あらゆる罪の誘惑に勝利されたキリストに導かれながら、まず普段の日常生活を正して生きるように今日の個所から示されます。