2017年1月29日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「罪のあがないと命への道」創世記第3章14-15,21-24節
「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。」3章21節
創世記3章のクライマックスを迎えました。神はアダムとエバに神の教えに背くように誘惑した蛇にふさわしい裁きを宣告します。この世界に罪を引き入れた責任として、蛇はあらゆる生き物の中で最も不自由な存在となるように地を這って生きることになります。また、神に禁じられていた実を食べるように誘惑した責任として、生涯塵のみを食べて生きるという、最も過酷な裁きを蛇に課しました。続く15節では、悪魔を象徴する蛇が人類の救世主であるイエス・キリストのかかとを十字架の上で砕くが、最終的に悪魔はキリストによって滅ぼされることを示唆する預言をしています。
その後、神は敢えて生きた動物を手に掛けて殺し、皮の衣を作って、アダムとエバに着せられました。人類を罪の赦しと救いへと導かれる神による罪のあがないの御業が、初めて聖書に登場する場面です。アダムたちが罪を犯した背景には、彼らが命の尊さや死がどれほど残酷で神を悲しませるものなのかということを理解していませんでした。そこで神は敢えてご自身が愛し、かつアダムたちと共に生きて来た動物を彼らの目の前で殺し、手を血に染めながら時間を掛けて皮の衣を作って行かれたのです。ユダヤ人たちが安息日に行う犠牲の献げ物の原型がここにあります。神にとって、これがどれほどつらい出来事だったことでしょう。涙を流しながらの作業だったのかも知れません。このようにして作られた皮の衣を纏うことによって、アダムとエバは犯した罪を深く反省し、神が示された犠牲的な愛の業を忘れずに生きて行ったことでしょう。
神は仕上げとしてアダムたちをエデンの園から一端追放し、再び命の木を手にすることが赦される日まで、永遠の命への道を備えて下さいました。その道についての一つの解釈とは、24節で語られる神の御言葉を象徴する「ケルビム」と聖霊を象徴する「きらめく剣の炎」、そして「私は道であり、真理であり、命である」と語る主イエス・キリストに導かれて、人類は再び天の御国と命の木の実に預かる信仰に生きることができることを示されました。創世記第3章が旧約聖書における福音書と言われるゆえんです。