2017年1月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 1/15 マタイ7章7-12節「求めなさい、天の父に」
総合テーマ キリストに従うように招かれている私たち
黙想のポイント
*主イエスは何を求め、何を探し、どのような門をたたくように導いておられるのでしょうか。イエスが用いておられるひとつひとつの喩え(単語…求める、探す、門、パン、石、魚、蛇、良い物、人にしてもらいたいと思うこと)が特に何を意味しているのか考えながら、主イエスが伝えようとしておられることを黙想しましょう。
◆求めなさい
◇7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
>>>まず、三つの行動にはどんな違いがあるでしょうか。
・「求める」という行為は、必ずしも自発的な行動を伴わないでも実行が可能です。たとえば、父なる神様に祈るという行為はこれに該当すると考えられます。
・「探す」という行動は、何かを誰かに求めることよりも自発的な行動が要求されます。
・「門をたたく」という行為は、門が中から閉じられていて、自分だけの力では中に入れないため、門を閉じている相手に開けてもらう必要があります。
◇7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
>>>主イエスは確信を持って語ります。その理由は以下に説明されます。
◇7:9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
◇7:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
>>>このたとえから、求める相手は親だと言うことが分かります。そして次の11節から、それは父なる神様に求めることだと分かります。
父なる神様が与えたいと願っておられるものを、私たちが求めるということが前提になっているので、私たちが求めれば、与えられるとイエスは確信をもって語っておられます。
>>>次にパンと石、魚と蛇の意味について考えて見ましょう。9節のパンと石は荒野での悪魔の誘惑のを連想させます。パンとは神が与えて下さる一つひとつの命の言葉、つまり聖書の言葉を意味し、石とは神の言葉を求めようとしないかたくなな人間の心を意味すると考えられます。すなわち、神は私たちがかたくなに神の言葉を無視して生きることを悔い改めて、命のパンを願い求めるならば、神は喜んで与えて下さるというメッセージが込められていると考えられます。
また、魚は一晩中漁をしても収穫がなかったのに、主イエスの指示に従って網を降ろすと大量の魚が取れた記事や主イエスが弟子たちに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた記事を連想させます。魚は悔い改めて、主イエスに従うようになるクリスチャンを意味すると考えられます。それとは対照的に、蛇はバプテスマのヨハネが群衆に向かって「蝮の子らよ」と語った言葉のように、悔い改めず、主イエスに従うよりも悪魔の側に立っている人々を指す言葉だと考えられます。従ってここでは、私たちを悪魔の側からキリストの側に導き入れたいと願う神の意志が語られていると考えられます。
また9~10節にかけて登場するパンと魚という言葉は、私たちに5つのパンと2匹の魚の話なども連想させます。
その箇所から導かれていたのは、信仰によって私たちは大きな神の御業を体験することができるというメッセージです。神はこのような世界に私たちを導き入れたいということを主イエスは語っておられるのではないでしょうか。
◇7:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
>>>この箇所から、神は私たちが「自発的に自分の方から神に求める心」を待っておられることが分かります。神は本気で求める意志を私たちが持つことなしには、何事もなされないという聖書に一貫してある法則があります。神の御言葉を心から信じて、願い求める意志を持ち、実際に祈って、行動に移して実行すること。これがキリスト教の信仰です。
神が求める者に与えたいと一番願っておられる「良い物」とは何でしょうか。それについては、平行箇所であるルカによる福音書11章13節が参考になります。「求めよ、そうすれば与えられる」というイエスの言葉の後で次のように結びます。
「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」とあります。つまり、聖霊の導きと助けを祈り求めることが神の御心なのだと言うことが分かります。また、時にはそれは教会の仲間の助けを意味することもあるでしょう。
>>>それでは、聖霊の導きや教会の協力を得て門をたたく時、開かれる門とはどのような門のことを言うのでしょうか。マタイ福音書の場合には最後の12節がこのことを理解する上で重要な役割を果たしています。
◇7:12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
>>>この結論部分「あなたがたも人にしなさい。」から、それは自分の必要を満たすことではなく、むしろ誰かほかの人の必要を満たすことだと示されます。すると、探すという行動は伝道対象者を探し求めることだと理解することができます。そして、門をたたくとは、聖霊、また教会員と協力して誰かを伝道することだと理解できます。その際にとても大事な心構えがあることも主イエスはここで教えて下さっています。それは自分がして欲しいと思う仕方で相手にも伝道しなさいということです。
私たちが人にして欲しいと思うこととは、自分の立場に立って必要なものを与えてくれることです。しかし、自分が誰かにしてもらって嬉しかったことが、必ずしも相手に同じように嬉しいこととは限りません。むしろ有難迷惑になることさえあります。従って、12節の意味は、十分に相手の状況を理解した上で、相手の立場に立って自分にできる最善を尽くすことだということになります。そこをはき違えないようにする必要があります。伝道において押し売りは禁物です。
一方で、相手がその時点では提供された福音の価値が分からなくても、後になってそれがどれほど大切なものだったのかということに気づく場合があります。従って、福音宣教には忍耐が必要です。そして結果は一切神に委ねることも大切です。
最後に、この教えで強調されていることとは、誰よりも神がそうすることを望んでおられるということです。そのことを忘れないようにしたいと思います。クリスチャンになるには、誰かの忍耐と献身と勇気が必要なのです。
主イエスが私たちにして下さったことを、私たちも他の人に分かち合っていく、そんな新年にして行きましょう。
分かち合いのポイント
・今回、新たに教えられたことは何でしょうか、共に分かち合いましょう。