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主日礼拝宣教要旨

2016年9月11日(日) 主日礼拝宣教要旨 「キリストが否む者たち」マタイによる福音書7章21-23節

2016年9月11日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎

 

主題)「キリストが否む者たち」マタイによる福音書7章21-23節

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(21節)

 

山上の説教の大詰めを迎え、主イエスは非常に重要な信仰理解について群衆に話されました。どんなに熱心に礼拝をして来た実績があり、伝道し、悪霊を追い出し、奇跡を行う貢献をして来たとしても、それらが天の国に入る資格とは一切ならないことを主イエスは群衆に伝えました。22節に記されている『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』という生き方そのものは、多くのクリスチャンが見習いたくても、なかなかそこまで実行できないようなものでした。それなのに何故、「天の国に行くことはできない」と主イエスは言われたのか。それは、人間の救いというものはどれほど本人が努力し、人から評価を受けたとしても、手に入れることができないからです。ただ、キリストの十字架のあがないと復活による神の一方的な救いの御業によって、実現するからだと言えます。

22節で主イエスに反論した人たちは、自分たちがどれだけキリストと教会に貢献して来たか、その実績を挙げています。しかし、それらは天の国に入るための条件を満たすものではないのです。天の御国に確実に入ることができる人というのは、むしろ自分には、到底天の御国に入る資格などないと自覚している人です。そして、天の御国に入るために、主イエス・キリストが背負って下さった犠牲の大きさを正しく受け止め、心の底から感謝し、残りの生涯を通してキリストが導いておられる道を、自らも十字架を背負って従っていく覚悟を持った人です。

キリストに生涯従っていくには、キリストが与えて下さる聖霊の助けによって日々悔い改め、日々新しくされながら歩んで行く以外にないのです(コロサイ3章10節、Ⅱコリント4章16節・5章17節参照)。

自分の力や功績に頼るのではなく、キリストを信じ、ひたすら従い抜いていく者こそ、天の父の御心を行う者であり、天の御国に入る人なのです。

 

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