2016年8月7日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「目の中に丸太!?」マタイによる福音書7章1-5節
「兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。」(4節)
山上の説教シリーズも最終章の7章に入りました。どれもキリスト教の真骨頂のような内容ばかりです。今回の主イエスの教えは、たとえから始まらずに、ストレートに「人を裁くな」と言う命令から始まります。裁くという言葉は、裁判の時によく用いられる言葉です。主イエスは、裁きは神に委ねて私たちが裁判官や検察官に成りすまして、自分勝手に人を裁いたり、有罪判決を下さないようにと命じます。
裁判官はどんな凶悪犯罪であっても、冷静に事実や真実と向き合って事件に対処する必要があります。しかし、私たちが人を自分勝手に裁く時、大抵は冷静でいられません。むしろ、相手を必要以上に裁いてしまうのです。このような状態になることが、「目の中に丸太」の状態と言えるのでしょう。普通は、おが屑が目に入っても相当に痛みますが、まだ自分でなんとか対処できます。しかし、目の中に丸太が一部でも当たるか、入り込んだ状態と言うのは緊急事態です。もはや人の事より、自分の応急処置に専念しなければなりません。そして通常、医者の助けが不可欠です。
人を裁くという行為は、そのように自分自身の霊性に深刻な事態を招く行為だと、主イエスは警告します。そして、そのような状態に陥った場合には、魂の医者である主イエスに、速やかな癒しを求める必要があるのです。対応が遅れると霊的な危機に発展し兼ねません。特に私たちが注意すべきは、家族や教会員に対してかも知れません。親しい間柄であればあるほど、人の過ちや自分の要求を押し通そうとして、相手を裁いてしまいやすいからです。そのような時にこそ忘れてはならないのが、主イエスの言葉と行動です。主イエスは人々の十字架を担い、7の70倍、人々を赦し続けるお方です。
このお方に、日々すがり付くような思いで助けていただかない限り、この世に無限に存在する不条理や人の過ちを裁きたいと言う誘惑には、そう勝てるものではありません。人を赦す力、これこそ、主イエス・キリストに従うことによって与えられる賜物です。主の憐みに感謝します。