2016年8月21日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「キリストに願うこと」マタイによる福音書7章7-12節
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(12節)
山上の説教の終盤7章では、キリストは単刀直入に語り、たとえで語ることが少なくなります。一方で、だれにでも分かるような言葉を用いながらも、かなり深い内容について語っています。7節の三つの内容とは、最初の「求める」は心の中で祈ることによっても実行できるものですが、次の「探す」ことは基本的に行動が必要な内容になっています。そして三つ目の「門をたたく」は、門の内側から第三者の協力によって開けてもらう必要があるという内容になっています。
続く11節では、7節の行動をだれが求めているかが明らかにされます。父なる神が私たちの求めを待っていて下さっているというのです。そして何よりも父なる神が求める者に与えたいと願っている「良い物」(11節)とは「聖霊」だということが、ルカによる福音書11章を見ると分かります。
また今回の箇所では聖霊を与えられることによって、どのようなことを成し遂げて欲しいと神が願っておられるかが最後の12節で明らかになっています。それは自分のためではなく、特に他の人のために聖霊を求め、聖霊の導きの中で何をなすべきかを探し求め、聖霊の執り成しの中で隣人の必要に応えていくことが示されます。「これこそ律法と預言者である。」と締めくくっています。言い換えると、これこそ聖書が主張している中心的な内容であり、イエス・キリストが身をもって実践された生き方だと言えます。
コリントの信徒への手紙一12章3節を始め、聖書が証言していることは、聖霊の助けによって人々は聖書の御言葉を深く理解できるように導かれ、罪の悔い改めに導かれ、「イエスは主である」と告白する信仰に導かれ、キリストに従うように導かれていくことが語られています。主イエスは、今日もあなたを通して聖霊の祝福を人々に与えたいと招いておられます。