2016年7月 祈祷会・教会学校 聖書箇所
7/3日 サムエル記下6章12-23節「主の箱をこぞって喜ぶ」
総合テーマ 主なる神を畏れ敬う
黙想のポイント
・契約の箱を運ぶダビデの心境を考える。
予備知識…上25~下5章までの概略
サムエル記上
25章 アビガイルとアヒノアムを妻にする
26章 サウルが再びダビデを殺そうと大群を率いて追い迫るが、ダビデの奇策によって今回もサウルを退散させることに成功する
27章 ダビデはサウルを恐れてガトの王アキシュの下に身を寄せる(1年4か月)
・エジプト方面のアマレク人を襲いながら、ユダを襲ったと偽って過ごすダビデ
28章 ペリシテ軍との戦いに不安を感じて口寄せに頼ってしまうサウル王
29章 ペリシテ軍から嫌われてダビデ、参加することを許されない
30章 アキシュ王の元へ行っていた留守中にアマレク人たちに妻たちと子らをさらわれ、取り戻すダビデ
31章 ペリシテ軍との戦いの末、サウル王と三人の息子、ギルボア山の戦闘で死ぬ
サムエル記下
- サウルの死を追悼するダビデ、ユダのヘブロンへ上るダビデ、イスラエルとの戦い~4章までで終結
5章 ダビデ、イスラエルの王となる
6章 祭司アミナダブの家から神の契約の箱を持ち帰えろうとしたダビデ。祭司ウザが手で神の箱を押さえたため、不慮の死を遂げる。それを見て恐れたダビデ、ガト人の家に契約の箱を留めて帰っていく。
◆契約の箱を丁寧に運ぶダビデ
6:12 神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。
>>>一端、神の箱を自分のところへ持ってくることを恐れ、断念したダビデ王でしたが、神の箱を受け入れさせたオベド・エドムの家が神の特別な祝福を受けていることを知り、考えを改めて神の箱を再び迎え入れる決断をします。
6:13 主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。
>>>前回、祭司アビナダブの家から神の箱を運び出す時には音楽隊の演奏が奏でられたものの、今回のように出発に際して神に犠牲を捧げる記述はありません。祭司ウザが不慮の死を遂げた出来事を通して、十戒と言う神の戒めが納められている神の箱への信仰姿勢が不十分であったことを反省したことが伺えます。ダビデは礼拝に臨むようにして神の箱を初めから終わりまで持ち運ぶことを実行しました。
6:14 主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。
>>>ダビデはさらに本来祭司が付けるエフォドと言う麻布の祭服を来て、陣頭に立って踊りながら神の箱を導いて行きました。ダビデ自ら民のお手本となって自分にできる精一杯のことをしようとする姿勢が伺えます。
6:15 ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。
>>>常に喜びの賛美が途絶えない道中だったことがわかります。出発の時、そして道中といい、これは礼拝の時に行われるものばかりです。犠牲の捧げものと神の赦しと祝福への応答賛美で満たされた今回の移動でした。
6:16 主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。
>>>残念ながらダビデの妻の一人、サウルの娘のミカルの目にはダビデの行動はいやしい、恥ずべき行いに映り、ダビデのようには喜べなかったようです。
6:17 人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。
>>>主の箱が到着した折にも、ダビデは神への礼拝を怠りません。
6:18 焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、
6:19 兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った。
>>>罪を悔い改め、罪の赦しを祈るための犠牲を捧げ、神の赦しへの感謝を表す賛美と犠牲を捧げ終えた後で、ダビデは祝祷を捧げ、もう一つ重要なことを最後に行っています。それは家族や他の人々と神の恵みを共に喜び祝う愛餐のための食料配布を行ったことです。現代でも参考にしたい礼拝の模範がここにあります。
6:20 ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」
>>>結局ミカルは夫ダビデと共に神の箱を喜んで迎える代わりに、夫の行動を軽蔑し、非難する言葉でダビデを迎えてしまいます。ダビデ同様に今回の出来事を喜び祝うことができたならば、結果が違ったことだろうと思います。ダビデは喜びに満たされ、家族にも祝福を分け与えようと戻って来たのです。一緒に喜んで欲しかった家族の一人にこのような形で迎えられることはさぞ残念だったことでしょう。
6:21 ダビデはミカルに言った。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。
6:22 わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」
>>>ダビデは全力を尽くして主なる神に失礼がないように徹底的に遜り、民に模範を示しながら自分の役目を果たそうとしたことをミカルに告げました。
6:23 サウルの娘ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた。
>>>この日以来、ダビデはミカルとの間に埋めることのできない溝ができてしまったことが報告されています。信仰において夫婦で一致することの大切さを考えさせられます。神の憐みがすべてのクリスチャンの夫婦関係の上にありますように祈ります。
分かち合いのポイント
・神の箱は、中に十戒が納められている神の言葉と約束を象徴するものです。そして、今回の話しは私たちが礼拝において、あるいは日常生活においてどのように神の言葉と約束に向かい合っているかを問われる内容でした。私たちは神の御言葉と約束を受け入れ、信じている者にふさわしい態度で礼拝し、また日常生活を送っているでしょうか。神を畏れ敬う日常にしていくために私たちができることはなんでしょうか。