7/17日 サムエル記下18章19節-19章1節「良い知らせに悲しむ王ダビデ」
総合テーマ 主なる神を畏れ敬う
黙想のポイント
・罪は人を霊的な盲目にし、正しい判断を誤らせます。ダビデ王はウリヤを意図的に戦死させた罪の後、息子たちの罪を正しく裁くことができないでいました。長男アムノンが異母姉妹を辱めた罪、三男アブサロムが自分勝手に復讐して兄弟を殺した罪と謀反を起こした罪。ダビデはそれらを正しく裁くことができませんでした。子どもを想う親の愛は複雑です。ダビデの迷いは理解できますが、本来ダビデは重責を担う王としてどうすべきだったのでしょうか。
予備知識…12~17章までの概略
前回)ウリヤの妻バト・シェバを巡ってダビデが犯したいくつもの赦し難い罪
12章)主の裁きを伝える預言者ナタン。バト・シェバの長男の死亡と次男ソロモンの誕生
13章)ダビデの三男アブサロムの妹を辱めた長男アムノンに復讐をするアブサロム
14章~17章)アブサロムを赦すダビデ、しかしアブサロムはダビデに逆らい謀反を起こしてダビデと対峙する
18章)両軍の激しい戦いの末、アブサロムが戦死する。ダビデ軍の長ヨアブがダビデの願いを裏切って殺害する
◆二人の急使
18:19 ツァドクの子アヒマアツは言った。「走って行って、主が王を敵の手から救ってくださったという良い知らせを王に伝えます。」
18:20 ヨアブは彼に、「今日、お前が知らせるのはよくない。日を改めて報告するがよい。今日は知らせないでおこう。王の息子が死んだのだ」と言い、
18:21 クシュ人に命じた。「行って、お前が見たとおりに王に報告せよ。」クシュ人はヨアブに一礼して走り去った。
>>>ヨアブはダビデ王の命に背きましたが、それでもダビデ王の心境を正しく理解していたようです。もともと今回の戦いは外国との戦いではなく、同朋との戦いでした。しかも敵とは言え、ダビデ王の子どもが戦死したのです。軍の勝利の知らせを間接的に知らせようとしたヨアブの判断は正しいと言えるのではないでしょうか。また、本来ダビデ王は自分の兄弟たちを自分勝手に殺害したアブサロムにもっと厳しい裁きを下すべきでした。まして、今回のように父でもあり、王でもあるダビデに反旗を翻した張本人であり、そのために大勢の戦死者を生み出したアブサロムですから、なおさら厳罰に処すべきでした。従ってヨアブの方が正しい判断をしたとさえ言えるのかも知れません。
18:22 ツァドクの子アヒマアツは再びヨアブに、「どんなことになろうと、わたしもクシュ人を追って走りたいのです」と願った。「子よ、お前はどうしてそんなに走りたいのだ。お前が行って知らせるほどの良い知らせではない」とヨアブは言ったが、
18:23 どんなことになろうと行きたいと言うので、ヨアブは「走るがよい」と答えた。アヒマアツは低地に道をとり、クシュ人を追い越した。
>>>アヒマアツはヨアブの言葉を受け止めた上で、それでもダビデ王の元へ行きたいと主張します。これに対し、ヨアブは腑に落ちないながらもアヒマアツに許可を与えます。アヒマアツがヨアブに信頼されていた証拠と言えるかも知れません。
18:24 ダビデは二つの城門の間に座っていた。城壁に沿った城門の屋根には、見張りが上って目を上げ、男がただ一人走って来るのを見た。
18:25 見張りは王に呼びかけて知らせた。王は、「一人だけならば良い知らせをもたらすだろう」と言った。その男が近づいて来たとき、
18:26 見張りはもう一人の男が走って来るのに気がつき、門衛に呼びかけて言った。「また一人で走って来る者がいます。」王は、「これもまた良い知らせだ」と言った。
18:27 見張りは、「最初の人の走り方はツァドクの子アヒマアツの走り方のように見えます」と言った。王は、「良い男だ。良い知らせなので来たのだろう」と言った。
18:28 アヒマアツは「王に平和」と叫び、地にひれ伏して礼をし、言った。「あなたの神、主はほめたたえられますように。主は主君、王に手を上げる者どもを引き渡してくださいました。」
18:29 王が、「若者アブサロムは無事か」と尋ねると、アヒマアツは答えた。「ヨアブが、王様の僕とこの僕とを遣わそうとしたとき、大騒ぎが起こっているのを見ましたが、何も知りません。」
18:30 王が、「脇に寄って、立っていなさい」と命じたので、アヒマアツは脇に寄り、そこに立った。
>>>アヒマアツはもう一人のクシュ人の伝令を追い越して先に到着することができましたが、真実をダビデ王に伝えませんでした。本来ならば見方の勝利を告げ知らされたダビデ王は真っ先にその報告を受け止め、その上で報告者の労をねぎらうべきでした。それが王としての務めだと言えるでしょう。しかし、ダビデ王は味方の戦死者や負傷者の状況を気にする代わりに自分たちを苦しめた敵であるアブサロムの安否を真っ先に聞いてしまったのです。アヒマアツはこのダビデ王の言葉から判断して、アブサロムの死を直接伝えることを控えたと考えられます。賢い人物だったと言えます。その時々の相手の状況に合わせて、語るべき言葉を選ぶことができる人物だったと言えます。
18:31 そこへクシュ人が到着した。彼は言った。「主君、王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたに逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました。」
18:32 王はクシュ人に、「若者アブサロムは無事か」と尋ねた。クシュ人は答えた。「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように。」
19:1 ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」
>>>ダビデ王は戦いに勝利したことや部下たちの命がけの活躍を喜び、ねぎらうことなく、自分の敵であった息子の死を嘆き、そそくさと自分の部屋へ退いてしまいました。自分がこの場で果たすべき責任が理解できず、他の戦死者たちのことまで思いを向けられないダビデ王の姿がここにあります。一方で、父親としての複雑なダビデの思いもまた理解できるだけに、この箇所は部下も含めた様々な人間模様に共感し、あるいは考えさせられます。ダビデが長男であるアムノンが異母姉妹に対して犯した罪を適切に裁いていたら、このような悲劇にはならなかったのかも知れません。ダビデのいくつもの判断ミスは、実は部下の妻と不倫をし、その罪を隠そうとさらに罪を重ねたところから起きているように思います。正しい裁きを行われる神を畏れ、敬い、自分の罪を悔い改めるべきことの大切さを反面教師としてダビデから学ぶことができます。一方で、そんな弱さを持ったダビデ王を支える部下たち。私たちは様々な人々に受け入れられ、赦されながら生きていることを改めて思わされます。
分かち合いのポイント
・今回の聖書教育誌の視点はとても考えさせられます。従って、それを引用したいと思います。「知らせ」は受け取る側の立場によって善し悪しが変わる…とあり、私たちが伝える福音が、本当の意味で「良い知らせ」となり、人々の心に届いているかと投げかけます。とても大切なテーマではないでしょうか。今回の箇所では部下のアヒマアツが良い例ではないかと示されます。あなたはどうでしょうか。