2016年6月26日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「断食する時には」マタイによる福音書6章16-18節
「そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(18b節)
6月は6章前半部分より施し、祈り、断食の3つのテーマを基に主イエスがもう一度問い直すように教えられた信仰について御言葉に聞いて参りました。これらのシリーズで共通しているのは「偽善者のように~してはならない」という言葉でした。最後が断食についてです。
断食は当時の敬虔なユダヤ人が週に2度ほど行っているものでした。しかし、聖書が教える断食はレビ記16章に年に一度行われる大贖罪日に合わせて行うもので、自分と民の罪を神に告白し、罪を赦してもらうためのものでした。そして、断食が明けた時に、貧しい人々にも食べ物を分け与えて、神の憐みを国を挙げて喜ぶものだったのです。日本では健康のためにプチ断食をしたり、手術前などに断食することがありますが、果たしてどれだけの人が聖書的な断食をしているでしょうか。
日本国際飢餓対策機構のデータによれば、1分間に17人が飢餓のために命を落とし、現在も約9億人が飢餓で苦しんでいると言います。世界で起きる悲しい死因の第一位が飢餓によるものです。ところが、それと深く関係しているのが私たちの日本なのです。日本とアメリカで世界の食料の半分を買い占め、消費していると言います。しかも日本が消費しきれなくて廃棄処分している食べ物の量が、全世界が飢餓に苦しむ人々に食料援助する量の2倍に相当するというショッキングな情報を最近のニュース番組で報道していました。もし、日本全体がもっとこの事実に目を向け、週に2度食事を抜き、それを飢餓に苦しむ人々の問題解決のために用いたならば、どれだけ役に立つことでしょうか。
主イエスは私たちの罪の問題をご自身の問題と捉えて下さる救い主です。それならばなおさら私たちは、世界の深刻な食糧事情を私たちの問題だと認識し、祈り、行動に移していくべきではないでしょうか。それこそ「隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」ことだと示されます。