2016年6月 祈祷会・教会学校 聖書箇所
6/26日 サムエル記上24章1-23節「サウルもダビデも」
総合テーマ 神の御手に委ねる
黙想のポイント
・イスラエルの初代の王となったサウル王の生涯はまさに波乱に満ちたものだったことでしょう。なれない王としての重責を担いながら母国を守り続けた戦人だったと言えます。そして、彼がダビデを執拗なまでに亡き者にしようとしたことは、恐らく他の国の王たちも行っていたことで、自分の子どもの時代を安泰にするための父としての止むを得ない選択だったことでしょう。しかし、この世に倣うのではなく、神が示される道を歩み続けるべきであったサウル王でした。サウル王のように、この世の常識に影響され、この世と妥協して生きている現実があるとすれば、それはどのような部分でしょうか。黙想しましょう。
予備知識…22~23章までの概略
ダビデはアドラムの洞窟へと逃げて行きますが、そこへ彼の家族や他の参加希望者が集まり、400人ほどの集団の頭領になります。モアブの王に両親を託すことが出来た後で、彼は預言者ガドの言葉を受けて、故郷であるユダ地方のハレトの森へ危険を承知で移動します。それを知ったサウル王は執拗にダビデを追いますが、ダビデは主に祈って導きを求めながらサウルの手から逃れて行きます。途中でサウルの子ヨナタンが彼に密かに会いに来て、互いに励まし合い、契約を結ぶ場面もあります。しかし、ついにサウル王はダビデの隠れ場に追い着きます…。
◆エン・ゲディにおけるダビデとサウル
24:1 ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害にとどまった。
24:2 ペリシテ人を追い払って帰還したサウルに、「ダビデはエン・ゲディの荒れ野にいる」と伝える者があった。
24:3 サウルはイスラエルの全軍からえりすぐった三千の兵を率い、ダビデとその兵を追って「山羊の岩」の付近に向かった。
24:4 途中、羊の囲い場の辺りにさしかかると、そこに洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。
>>>執拗にダビデを追うサウル王。選りすぐりの兵3千人を引き連れての大掛かりな追跡です。しかし、皮肉なことにサウル王は羊の囲いの場付近にあった洞窟で用を足します。そこにダビデたちが潜んでいることも知らずに!?
24:5 ダビデの兵は言った。「主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです。」ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った。
24:6 しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し、
24:7 兵に言った。「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」
24:8 ダビデはこう言って兵を説得し、サウルを襲うことを許さなかった。サウルは洞窟を出て先に進んだ。
>>>ダビデの従者はこの時こそサウルを撃退する絶好の機会だと訴えますが、ダビデはかたくなに主が油を注がれた者に手を掛けることを拒みました。そして、サウルの上着の端を密かに切り取ったことにも罪意識を持つほどでした。
24:9 ダビデも続いて洞窟を出ると、サウルの背後から声をかけた。「わが主君、王よ。」サウルが振り返ると、ダビデは顔を地に伏せ、礼をして、
24:10 サウルに言った。「ダビデがあなたに危害を加えようとしている、などといううわさになぜ耳を貸されるのですか。
24:11 今日、主が洞窟であなたをわたしの手に渡されたのを、あなた御自身の目で御覧になりました。そのとき、あなたを殺せと言う者もいましたが、あなたをかばって、『わたしの主人に手をかけることはしない。主が油を注がれた方だ』と言い聞かせました。
24:12 わが父よ、よく御覧ください。あなたの上着の端がわたしの手にあります。わたしは上着の端を切り取りながらも、あなたを殺すことはしませんでした。御覧ください。わたしの手には悪事も反逆もありません。あなたに対して罪を犯しませんでした。それにもかかわらず、あなたはわたしの命を奪おうと追い回されるのです。
24:13 主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。わたしは手を下しはしません。
24:14 古いことわざに、『悪は悪人から出る』と言います。わたしは手を下しません。
24:15 イスラエルの王は、誰を追って出て来られたのでしょう。あなたは誰を追跡されるのですか。死んだ犬、一匹の蚤ではありませんか。
24:16 主が裁き手となって、わたしとあなたの間を裁き、わたしの訴えを弁護し、あなたの手からわたしを救ってくださいますように。」
>>>歴史に残る名セリフではないでしょうか。また、この信仰と勇気ある行動がその後の将来を決定付けた場面であったと言えます。ダビデが徹底して拘っているのは、神が選ばれた人物を自分は神が支持しない限り、決して殺めないという信念でした。そして、その判断は間違っていなかったことを彼は人生を通して理解していくのです。
24:17 ダビデがサウルに対するこれらの言葉を言い終えると、サウルは言った。「わが子ダビデよ、これはお前の声か。」サウルは声をあげて泣き、
24:18 ダビデに言った。「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した。
24:19 お前はわたしに善意を尽くしていたことを今日示してくれた。主がわたしをお前の手に引き渡されたのに、お前はわたしを殺さなかった。
24:20 自分の敵に出会い、その敵を無事に去らせる者があろうか。今日のお前のふるまいに対して、主がお前に恵みをもって報いてくださるだろう。
>>>ダビデの今回の命がけの言葉にさすがのサウル王も目が開かれたことが分かります。サウルは素直に自分の非を認め、ダビデのこれまでの誠意ある行動を称えます。
24:21 今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。
24:22 主によってわたしに誓ってくれ。わたしの後に来るわたしの子孫を断つことなく、わたしの名を父の家から消し去ることはない、と。」
24:23 ダビデはサウルに誓った。サウルは自分の館に帰って行き、ダビデとその兵は要害に上って行った。
>>>サウル王とダビデとの間の激しい追いかけっこは終わりを迎えました。しかし、釈然としません。サウルはダビデが必ずイスラエルの王となり、偉業を成し遂げることを悟ったと言い、また自分の子孫の安泰を願い出てさえいます。しかし、サウルは積極的に王の座を降りて、ダビデに自分の後を継いで王となる道をお膳立てするような約束や行動を一切していません。サウルは自分のお城に戻って行っただけでした。少し冷静になって今までの自分を振り返り、今後どうするかを考える時間が必要だったのかも知れませんが…。
分かち合いのポイント
独りよがりで、自分たちの命や生活を脅かすような政治家や国のリーダー、あるいは会社の上司や学校の先生というのは後を絶ちません。そのような中でダビデのような信仰を持って生きるとは、どのような生き方を選び取ることなのでしょうか。互いに分かち合いましょう。