礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「祈りの作法」マタイによる福音書6章5-11節
「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。」(5節)
今月は、信仰生活のさらなる高みに進むために必要な4つの重要な信仰理解について御言葉より学びます。今回と次回はより深いキリスト教ならではの祈りについてです。
前回同様に主イエスは祈りにおいても偽善的な祈りに陥ってしまう危険があることを語ります。それも会堂という礼拝施設においてさえ、そうなる危険があると言うのです。まず他人に見せる誘惑の多い場で祈ることを避け、祈りに集中できる環境で祈ることを勧めています。言い換えると、神に祈りが確実に届くように集中できる環境を整えることが大切だと言うことです。
それから「主の祈り」を弟子たちに教えられました。今回はその前半部分に学んで行きますが、ポイントは3つです。最初は「天におられる…父よ」と、祈る対象がどのようなお方なのかを明確にわきまえる祈りです。8節にあるように父なる神は祈る前から私たちの必要をご存知でいて下さるような全能の神であり、また犠牲を払ってでも私たちを救われる愛の神です。そのような神に向かって祈るには、謙虚さと信頼を持って祈ることから始めます。次にその神の御名をあがめること、つまり賛美し、感謝を献げることです。三番目は自分の願いではなく、神が願われる世界が到来し、神の意志がこの地上に実現するようにと徹底して神のご計画と御心を求める祈りが続きます。私たちがこの世にどのような使命を与えられているかを毎日自覚し直して生きるための祈りでもあります。
それからようやく日々の糧のために祈るのです。ただし、この祈りも必ずしも食料を意味しません。主イエスは「私の食物とは、父の御心を行うことである」と別の箇所で弟子たちに教えられました。つまり、今日自分に与えられている神からの使命に生きる知恵と力を与えて下さいという意味もある祈りなのです。よくありがちな祈りと比べ、主イエスの導かれる祈りはチャレンジに満ちています。しかし、このような祈りこそ、天国に迎え入れられる者にふさわしい祈りだということを理解して祈る者となりましょう。