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主日礼拝宣教要旨

2016年5月8日(日) 礼拝宣教要旨 「結婚という絆」 マタイによる福音書5章31-32節

礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎

主題)「結婚という絆」 マタイによる福音書5章31-32節

「しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」(32節)

 

結婚は、神が聖書の最初の書である創世記の第2章で聖別しておられるほど、重要視されています。そして結婚は神が祝福しておられる大切なものです。そのお互いを高め合うはずの結婚がどうして破局を迎えることになるのか。聖書はそうならないための結婚の考え方やあるべき性関係の基準を明確にしています(レビ記18章参照)。今日、性倫理を始め、その理解があまりにも多様化し、無秩序になっているために世界的に離婚が増加している現実があります。日本では4組に1組の割合、年間20万組以上の夫婦が離婚に至っているというデータもあります。

31節で主イエスが言及しておられる『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』という聖書の教えは、申命記24章に登場しますが、本来この教えは女性を夫の好き勝手にさせないための法律であり、離婚の責任を夫に求め、客観的に離婚の正当性を確認するためのものでした。それまでは、夫は気分次第で妻を家から何の手続きもなしに追い出すことができた時代が続いていたので、大きな進展であったと言えます。しかし、主イエスはさらに一歩踏み込んでレビ記18章で定められている性的関係について教えている箇所を念頭に置きながら、姦通(不倫)の罪などの明らかにあってはならない罪が犯されるのでない限り、神の御前ではそれは正当な離婚とは認められないと教えます。正当な理由でない限り、そのような離婚は結果としてその妻と再婚した相手にまで姦通の罪を犯させることになると教えられました。

レビ記18章の教えは、神が人類全体に求めている性倫理であることが明確にされています。世界的に性倫理がなし崩しになっている今こそ、もう一度聖書の原点に立ち返ってあるべき結婚のあり方に立ち返り、神が祝福される結婚の絆を深めて参りましょう。

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