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主日礼拝宣教要旨

2016年4月10日(日) 礼拝宣教要旨 「天の国に入るには条件がある」 

 マタイによる福音書5章17-20節     西川口キリスト教会 斎藤信一郎

「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」(20節)

 地味で少々理解しにくい今回のキリストの教えですが、山上の説教シリーズの三番手を務める非常に重要な教えです。主イエスが律法や預言者、また掟と言っているのは旧約聖書のことです。ユダヤ人たちは、その教えを破るようなことをイエスが教えていると誤解していました。そのため、イエスは、この地上世界が滅びる時まで聖書の文言は変えられるべきではないし、一点一画も変わらないことを神の権威によって宣言されました。この宣言は、今日、世界中の4、000以上の言語に翻訳作業が続けられている聖書においても通用するものだと思います。どうしてそのようなことが可能なのでしょうか。

 鍵を握るのが聖書を正しく理解するために必要不可欠な「天の国」と神の「義」という概念です。天の国とは、天国と区別すべき言葉で、主イエス・キリストを救い主だと信じてクリスチャンとして生きる時から始まる、聖霊に導かれた人生を指します。キリストが人類の罪をあがなわれた真の目的は、私たちを罪の支配から解放し、聖霊の導きの中にあって神と共に歩む人生を与えるためでした。

ところが律法学者たちは神の救いの教えを誤解し、旧約聖書の教えを忠実に守る者が神の特別なご加護を受けながら生活し、天国に行ける(これが律法学者やファリサイ派の義の意味)と考えていました。しかし、主イエスは自分の努力だけでは決して神に喜ばれ、認められるような信仰と生き方はできないと教えられたのです。

 肝心なのは神の教えに従い、実践して生きるために、聖霊の導きと隣人の祈りや協力が必要不可欠だと説かれました。ここをはき違えると、私たちは神の義にも天の国にも生きることはできないのです。神と隣人の協力を必要不可欠のこととして絶えず謙虚に求めながら、私たちもまた神からの使命として隣人の必要に応えながら生きる。このような人生に神はあなたを招いておられるのです。

 

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