主題)「神と交わされた約束」 創世記15章7-21節 斎藤信一郎
「日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。」(17節)
教会歴ではイースターを迎えましたが、丁度それにふさわしい箇所のため、創世記の第一期連続講解説教の最終回とさせていただきます。後を継がせる実子もなく、これからの生涯に今ひとつ希望が見いだせないでいたアブラムに、神は血のつながった子孫を星のように多く与えることを約束されました。しかも、父親をカルデアのウルから導き出した時からすでにアブラムは神の壮大なご計画の中にあると語られました。しかし、神に信仰を義と認められたばかりのアブラムでしたが、今度は不信仰にも神に証拠が欲しいと訴えます。
これに対してレビ記1章に登場する礼拝の中心である全焼の生贄の儀式に用いる動物を用意させて、神自らが契約の儀式の当事者となられます。通常、二つに切り裂かれた動物たちの間を通りながら、命をかけて約束を守ることを誓う儀式です。それを神ご自身がアブラムに行って見せるのです。その時に犠牲の間を通られる神についての聖書固有の描写が特徴的です。17節に表現される「煙を吐く炉」は日中の営みを代表しており、平和時に各家庭で食事が作られる時の情景です。「燃える松明」は夜を代表しており、夜間の安全と防衛を象徴するものです。これらを通して、神は24時間365日、常に昼も夜もアブラム一族の生活を総合的に守り、支えられる神として自らを明らかにされます。
この神の約束と決意は、イエス・キリストに引き継がれて行き、キリストの十字架のあがないと復活を通して全人類にまで広げられて行きます。一つの家族から始まった神の導きと祝福の約束が、やがて一つの民族、国民に広がり、さらには全世界への神の祝福へと広がって行くことが15章全体で神がアブラムに約束されていることです。そして、私たちはイースターを迎える度に、この神の約束が今日に至るまで真実であることを確認し、喜び合うのです。イースター、おめでとうございます。