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主日礼拝宣教要旨

2016年3月20日宣教要旨 「神に義と認められる信仰」 創世記15章1-6節

主題)「神に義と認められる信仰」 創世記15章1-6節

「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(6節)

 甥のロト一族を連れ去った北方の連合軍を追いかけ、奇跡的な勝利を収めて凱旋してきたアブラムでしたが、神が彼に語った言葉は「恐れるな、アブラムよ。」というものでした。彼にはどんな恐れがあったというのでしょうか。2節以降の会話から、その恐れの原因とは、彼には豊かな財産があっても、後を継ぐ実子がいないということだったようです。そしてアブラムの会話から、子どもは神から授かるものだという理解が見て取れます。もはや高齢に達していたアブラムにとって、血のつながった子どもがいないということは将来への不安につながるものであり、神からの祝福の約束に勝っていたのです。

 しかし、そんなアブラムに神は予想を覆すことを告げました。満天の星空を見せながら、アブラムの子孫が数えきれないほど多くなると約束されたのです。当時の常識では到底信じられなくてもおかしくないことを言われたアブラムでしたが、彼は神の約束を信じました。その彼の神の言葉を信じる信仰を彼の義と認められたとあります。それは私たちにも問われる信仰です。

 今日私たちの教会や社会の置かれている状況は決して楽観視できるものではありません。不安材料が多く存在します。存続が危ぶまれる教会も存在します。このような状況の中にあるからこそ、アブラムに問われた信仰は私たちにも問われているのではないでしょうか。神はわずかな群れから星空のように多くの群れへと導くことができる神なのです。そして、それをアブラムを通して証明して下さいました。神が私たちに求めておられるのは現実の不安に押しつぶされることではなく、神の約束の言葉と力に信頼して歩み続けることではないでしょうか。アブラムの信仰を受け継ぐ教会こそ、アブラムの子孫であり、キリストの子孫でもあるのです。

 

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