2016年2月21日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「分かれ道の選択」 創世記13章1-9節
「あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」(9節)
私たちは過ちや罪を犯してしまう存在です。神の前に完璧な人はキリスト以外に存在しません。大事なのは罪を犯した時に、心から悔い改めることができるかどうかということ、また同じ過ちを繰り返さないように失敗から学ぶことです。アブラムはエジプトでの罪深い愚かな行為を反省するかのように、かつて彼が滞在したネゲブ地方、ベテルへと戻って行きました。そこは彼が初めて自発的に神に礼拝をし、神に祈りを捧げた場所でした。
そこで新たな問題が出てきました。いつしか家畜の群れと使用人と財産が増えていたアブラムとロトでしたが、ベテルの地は彼らが一緒に住むには十分ではなかったため、家畜を飼う者たちの間に争いが起きるようになりました。アブラムはもはやロト一族と一緒に行動することは難しいと判断して今後は分かれて住むことを提案します。この時のアブラムの問題解決の方法から今回は学びたいと思います。
今後どこにアブラム一族が向かうのか、また落ち着くのかは家族が安全に暮らしていくには大変重要なことでした。しかし、彼は先に甥のロトに自分の選びたい地域を選択させることにします。自分の方が年長者だから先に選ぶというような態度ではありませんでした。どこに住めば安全なのか、また自分の家族と家畜にとってどの土地が都合がいいかということは土地を定める上で確かに大切なことでしょう。しかし、エジプトでの教訓から学んだアブラムは将来の安全と家族の繁栄は自分の知恵と力によるのではなく、神のお守りと導きにあることを理解している者のように行動しています。人生の大切な分かれ道に立つ時にどう行動すべきなのか、アブラムは理解し始めていました。だからこそ、ベテルの地にもう一度戻り、信仰の原点を見つめ直したアブラムだったのではないでしょうか。