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主日礼拝宣教要旨

2016年2月14日(日) 礼拝宣教要旨「信仰が試される時」 創世記12章10-20節

2016年2月14日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎

主題)「信仰が試される時」 創世記12章10-20節

「ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたはわたしに何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。」(18節)

信仰の父とユダヤ教、イスラム教、キリスト教の人々から称されるようになるアブラム(後にアブラハム)でしたが、初めからそうだったわけではありません。当初はユダヤ教徒でもなく、特定の宗教を持たない人物でした。そんな彼に一大転機が訪れたのは神の指示で75歳の時にカナン地方に移住するように神に指示され、信仰で従ってからでした。ただし、彼は聖書も持たず(当時まだ存在していない)、神に祭壇を築いて礼拝する以外にはどう信心深く生きるべきなのかほとんど何の知識も持ち合わせていませんでした。そのため、多くの失敗をして学んでいくことになります。

最初の失敗はカナン地方に飢饉があった時でした。彼は本来神に祈ってどう行動すべきか、カナン地方を離れるべきか判断すべきところを自分の判断でエジプトに避難してしまいます。また、神に信頼し、神に頼って旅の安全を祈り求めるべきでした。しかし、彼は自分の妻の美貌のせいで殺されることを恐れ、妻を妹だと偽らせ、しかもパロの妻になるのを赦してしまうというとんでもない過ちを犯します。結果的に自分の妻とエジプト王パロに姦淫(不倫)の罪を犯させることになります。重大な事実を言わなかったり、捻じ曲げることも罪だと示されます。そしてアブラムのこの愚かな罪深い行為が結果的にパロ一族に災いをもたらし、恐ろしい病気が発生してしまいます。この元凶がアブラムの偽りにあることを突き止めた王はアブラムを非難し、彼らをエジプトから強制退去させました。

神の御心をいつも明確に理解し、行動することは決して簡単なことではありません。忍耐強く待たなければならない時や自分で判断せざるを得ない場合もあります。それでもまず神の導きを祈り求めることが、どんな場合にも必要不可欠だということを認識して日々の歩みを聖霊に導かれて参りましょう。

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