2016年12月 祈祷会・教会学校 聖書箇所
12/11日 マタイ1章18-21節「眠れぬヨセフと主の使い」
総合テーマ 神が顧みられた人々
黙想のポイント
・短い箇所ですが、ここには見落としてはならない大切な言葉が多く存在します。マタイ福音書5章18節には
「 はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」と主イエスご自身が聖書の言葉の一語一語の重要性について語っています。従って、どんなに短い箇所であっても、聖霊の導きと助けをいただきながら、神がこの箇所を通して私たちに示しておられる福音に耳を傾けて行きましょう。
本文)
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
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イエスの両親、ヨセフとマリアは婚約していました。当時の女性の結婚はかなり早く、現代で言えば中学生、あるいは高校生くらいの年齢のマリアだったと考えられています。当時の考え方では、婚約した時から二人は夫婦としての自覚を持って結婚式に向けて必要な準備をしていたようです。続く19節で「婚約者ヨセフ」ではなく「夫ヨセフ」と表現され、20節で「婚約者マリア」ではなく「妻マリア」とあるのはそうした背景があったからだと考えられます。また、その期間はまだ同棲したり、性的な関係を結ぶことは禁じられていました。その婚約者のマリアが突然妊娠したと聞かされたヨセフの動揺はいかほどだったことでしょうか。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
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自分の子どもでない赤ん坊を、婚約期間中に妻が妊娠するということは、ただならない事態だということは誰にでも分かります。特にユダヤ教では、不倫は死罪を意味していました。
▶レビ記20章10節「 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。」
また、マリアは由緒正しい初代の大祭司アロンの家系に生まれた女性でした。彼女はなおさら結婚式を挙げるまでは純潔を保つことが求められる家系に育ったのです。
▶ レビ記21章13~14節 「祭司は処女をめとらねばならない。やもめ、離縁された女、遊女となって身を汚した女などをめとってはならない。一族から処女をめとらねばならない。」
従って、婚約中の二人にとってこのような事態は決してあってはならないことでした。ヨセフはマリアの妊娠を耳にした時に即座にマリアの不貞を非難し、離婚に踏み切ってもおかしくありませんでした。しかし、彼はこのことを表ざたにすることによって、自分のことよりも、今後のマリアの身の上を気遣って密かに離縁することを決心したと考えられます。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
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ヨセフが悩んでいた時、神はすぐさま天使を遣わしてヨセフを気遣っています。主の天使のこの短い言葉の中には、ヨセフにとって多くの励ましに満ちた言葉が存在します。
1) ダビデの子ヨセフ…天使はヨセフが何者なのかを事前に知っていたことが語られています。つまり彼が由緒ある王の家系であるダビデの家系に生まれた人物だということを理解していました。
2)ダビデはマリアを妻としてこのまま迎え入れることに迷っていたというよりも恐れていたことを理解していました。その恐れとは、このことが発覚するとマリアは姦淫の罪で命を落としかねないということでしょう。
3)天使が「妻マリアを」と言い、神がマリアをヨセフの妻として認知していることが宣言されています。逆に言えば、もしヨセフがマリアをこの後に離縁すれば、神の御心に背くことにもなってしまうということです。
4)マリアが妊娠した理由は他の男性との不倫によるのではなく、聖霊の御業によることが説明されます。
*これらの情報こそ、ヨセフにとってまさに知りたかった情報だと言えるでしょう。この天使の言葉でどれほどヨセフの悩みは軽減したことでしょうか。天使はなおも続けます。それは、生まれてくる赤ん坊の性別と名前とその意味についてでした。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
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当時、妊娠初期に生まれてくる子どもの性別を判別することなどできない時代に、天使は生まれてくるのは男の子だと預言しました。そして、神自らが生まれてくる子どもの名前を指定したのです。その名は「イエス」、ヘブライ語で「イエシュア」でした。この名前には「主は救い」という意味があり、当時としてはありふれた名前の一つに過ぎませんでした。しかし、その後「この子は自分の民を罪から救うからである。」という言葉が続きます。ヨセフはその名前に込められた、より深い意味を知った時、生まれてくる子どもがただならない使命を背負った子どもだということも知ることとなるのです。ユダヤ人は神以外に人の罪を赦すことができる存在はいないと信じていました。従って、この説明は驚くべき内容と言えるでしょう。にわかに信じられない言葉だったと考えられます。しかし、これこそ、生まれてくる子どもに神が託す人生最大の使命だったのです。
*さらにこの箇所を掘り下げて黙想すると、「イスラエルの民」と言わずに「自分の民」と表現していることも大変重要なことではないでしょうか。ユダヤ人以外の異邦人も、主イエスの民になることが示唆されているからです。つまり、世界中のクリスチャン、そして私たちも主イエスの救いの対象に入るということです。このような福音がマタイ福音書の最初に語られていることに改めて気づかされ、感謝します。
分かち合いのポイント
・私たちの人生にも、眠れなくなるような試練に遭う時があるのではないでしょうか。そのような時に、どのように聖書の御言葉、あるいは信仰によって乗り越えることが出来たか、互いに分かち合いましょう。