2016年11月06日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「神が聖別された日」創世記2章1-3節
「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」創世記2章3節
今月より創世記第2章に入ります。主題は第1章の神から人間に移ります。特に人間とは何者で、どのような使命が与えられているかについて書かれています。冒頭で神が第7日目に何をなさったかという内容が語られます。一見、第1章の最後に語られてもおかしくない内容です。
神が7日目になさったことは次の四つです。①仕事を離れ、②安息し、③その日を祝福の日とし、④他の日と区別して過ごす礼拝の日にしたということです。この考え方はやがてモーセの十戒の第4戒の中でも明確にされ、家畜や奴隷を含めてすべての存在が神の創造目的と救いの御業を安息(心穏やかな状態)の中で礼拝するための日として定められて行きます。
この戒めを守るためにユダヤ人たちは5日かけて仕事をし、安息日の始まり(ユダヤ歴では日没から次の日が始まり、金曜日の夕方がこれに当たる)に向けて、安息日に一切の仕事や料理をしないで家庭礼拝と公の礼拝に専念できるように準備をするのです。今日でも敬虔なユダヤ人たちはこのように前日から半日かけて準備をして安息日を大切にしています。
今日の私たちはどうでしょうか。礼拝に行く数時間だけを主の日として過ごしてはいないでしょうか。また、教会に行ってもどれだけ安息の中で過ごせているでしょうか。残念ながら私たちを取り巻く現実には厳しいものがあります。大人も様々な理由で礼拝を休まなければなりません。また、子どもたちも学校行事、模試、部活動、習い事等で日曜日も休むことなく過ごすことを余儀なくされています。たとえ、礼拝に来ることができても、教会行事に追われて礼拝に集中できないということはないでしょうか。そして、私たちはどれだけ前日から礼拝のために備えをしているでしょうか。
神さまが願っておられる礼拝の日にしていくために、共に知恵を絞り、協力して行きましょう。