2016年11月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 11/27日 ダニエル書12章1-13節「輝く時が来るまで」
総合テーマ 神の御心に忠実に生きる
◆預言者ダニエルについて
・ダニエルは預言者エゼキエルとほぼ同じ年齢です。ダニエルはエゼキエルより一足先に、バビロン捕囚の最初の集団と共に、バビロンに連れて行かれます。そして、その生涯をバビロンの王宮で過ごし、王に認められて高い地位を得ます。彼はバビロン帝国のネブカドネツアル王とベルシャツアル王、続くペルシャのダレイオス王、そしてキュロス王の元年まで、歴代の王に仕えていきます。エレミヤがイスラエルに残された民に預言し、エゼキエルが捕囚の民に預言したのに対して、ダニエルは歴代の王に仕えながら預言活動を行いました。また、ダニエルの預言の中には、7章から始まる終末に関するものもあり、ヨハネの黙示録との関連性も指摘されています。
黙想のポイント
・これまでダニエル以前の預言者は、本人を含む時代に関わる預言が与えられてきました。しかし、ダニエルの場合には、終章に近づくにつれ、遠い未来に起きる事柄についての預言に変わって来ます。しかも、それらは本人や同時代の人々が直接経験する内容ではありませんでした。自分に託される難解な預言に戸惑いながら、なんとか理解しようともがくダニエルの姿と、ヨハネの黙示録の預言に戸惑う私たちとを重ね合わせて黙想しましょう。
12:1 その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く/国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう/お前の民、あの書に記された人々は。
>>>「その時」と言う言葉が頻繁に登場します。大天使長ミカエルが来るまでの時期を指すものと考えられ、その時が到来するまでの間、かつてなかったほどの苦難が続くことが語られます。また、最後には苦難を乗り越えた者たちで、かつ「あの書」に名を記された人々が救われることが示されています。「あの書」とはどのような書を指すのでしょう。10章21節で語られる「真理の書」ではないかと考えられます。黙示録21章27節の「命の書」との関連性も考えられます。
◆参考…10:21 しかし、真理の書に記されていることをお前に教えよう。お前たちの天使長ミカエルのほかに、これらに対してわたしを助ける者はないのだ。
12:2 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
>>>この表現は、最後の審判に向けて人々が復活させられる場面が描かれていると考えられます。福音書や黙示録でも語られている、最後の審判の場面で人々が右と左に分けられる話に通じます。
12:3 目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々は/とこしえに星と輝く。
>>>神の救いの中に入れられる人々は、どれほど光輝くかが描写され、特に他の人々の救いに貢献した人々が、自らに光を放つほどに輝く様が描かれています。
12:4 ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」
>>>終わりの時について預言を聞かされるダニエルでしたが、終わりの時がいつのことなのかについては示されません。一方、ダニエルは聞いたことを秘めて置くように指示され、混乱したことでしょう。しかし、やがてこの預言が解放される時、多くの人が動揺しながらも、彼らの助けとなる知識が与えられることが、ダニエルに伝えられました。
12:5 わたしダニエルは、なお眺め続けていると、見よ、更に二人の人が、川の両岸に一人ずつ立っているのが見えた。
12:6 その一人が、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人に向かって、「これらの驚くべきことはいつまで続くのでしょうか」と尋ねた。
12:7 すると、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が、左右の手を天に差し伸べ、永遠に生きるお方によってこう誓うのが聞こえた。「一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事はすべて成就する。」
>>>さらに難解な箇所が続きます。川を隔てて二人の天使のような存在が登場し、片方の者が、上流におられるキリストを指し示すような麻の衣を着た存在に向かって、問いかけます。すると、その人物は、合計で三時期半になる3つの区分に分かれた時期を指し示し、これらの期間が経過した時に、「聖なる民」の力が全く打ち砕かれる時が来て、すべてが成就すると語ります。合計三時期半とは3か月半、3年半、35年を表すと考えられ、7か月、7年、70年のちょうど半分の数字です。また、これを伝える麻の衣を着た人物とは10章に登場する人物との関連性もあることでしょう。
◆参考… 10:5 目を上げて眺めると、見よ、一人の人が麻の衣を着、純金の帯を腰に締めて立っていた。
10:6 体は宝石のようで、顔は稲妻のよう、目は松明の炎のようで、腕と足は磨かれた青銅のよう、話す声は大群衆の声のようであった。 10:7 この幻を見たのはわたしダニエルひとりであって、共にいた人々は何も見なかったのだが、強い恐怖に襲われて逃げ出し、隠れてしまった。 10:8 わたしはひとり残ってその壮大な幻を眺めていたが、力が抜けていき、姿は変わり果てて打ちのめされ、気力を失ってしまった。 10:9 その人の話す声が聞こえてきたが、わたしは聞きながら意識を失い、地に倒れた。
12:8 こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。「主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。」
>>>ダニエルはわからないながらも、一生懸命に理解しようとしている姿が印象的です。
12:9 彼は答えた。「ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。
>>>ダニエルはさぞ消化不良を起こしていたことでしょう。非常に大事な内容であることを理解していても、その意味がほとんどつかめないままでした。重要な内容ではあっても、ダニエルと同時代の人々にはまだ明かしてはならない神の言葉を、前もって託される者の戸惑いを想像します。
12:10 多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが、目覚めた人々は悟る。
>>>一定の試練の中で鍛えられることは避けられないようですが、幸い、救いの中に入れられる人々は、多く存在することが語られています。
12:11 日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。
12:12 待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである。
>>>この記述は人類の歴史上一度ではなく、何度か起きる預言として語られていると理解する学者もいます。そして、この預言は世の終わりの時代にいる私たちにとっては、遠い将来のことではないかも知れません。また、聖書教育誌にも明らかにされているように、これらの数字が示していることは1年を360日と考えるユダヤの計算方法では、3年半と1ヶ月、3年半と45日に当たる数字です。
12:13 終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」
>>>憩に入るとは、ダニエルの死を指すものと考えられます。しかし、終わりの時にもう一度彼には復活して役割が与えられるということでしょうか。黙示録20章等には、地上に落とされて神の民に最後の報復をしようと試みた悪魔が捕えられて獄に繋がれた後に、まず福音宣教のために殉教した人々や、時の権力者に抵抗して信仰を貫いた人々が、よみがえらされ、千年間地上を統治することが語られています。ダニエルもこの時に復活するということが語られているのかも知れません。
◆参考…千年間の支配
20:1 わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。
20:2 この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、
20:3 底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。
20:4 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。
20:5 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。
20:6 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
>>>私たちはダニエルと違い、終わりの時代に生きている者たちです。しかし、今でもダニエル書を通して神が示そうとしておられることを悟ろうとしても、十分に理解できているとは言えない現実があります。最後の13節「終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。」という御言葉が、私たちにも語られたものであると受け止めて共に歩みましょう。
分かち合いのポイント
・聖書には十分に理解できない箇所や恐れさえ感じさせる箇所があります。それらの個所から逃げずに、むしろ向き合い、正しく受け止めるために今回のダニエル書からどのようなことを学ぶことができるでしょうか。共に分かち合いましょう。