2016年11月13日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「ひと呼吸の人生」創世記2章4-7節
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」
創世記第2章の主題は「神」から「人間」に移ります。4節には「主なる神が地と天を造られたとき」と記されていますが、第1章の「天と地」という表現とは対照的に語られています。これも主題が神から人間に移ったことを示唆していると考えられます。私たち人間をどのような存在として神は創造されたのでしょうか。5節に最初は「土を耕す人もいなかった」とあります。確かにこの地球の植物、特に野菜や穀物や果樹は人間の手によって管理されることによって豊かに収穫を得ることができます。放っておくと数十年で雑草地帯や雑木林になってしまいます。神は、最初は人間のためにエデンの園という最高の場所を用意されますが、その後は人間が維持管理するように初めから計画されていたのです。また、6節に湧水が湧き出て、地表は人間に耕される日のために整えられていたことも語られています。「主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである」(5節)とあるように、すべては神の深淵なご計画の中で事が進んでいたと聖書は語ります。
そして7節で人類最初の人間アダムが登場します。人間(アダム)は土(アダマ)から造られますが、その土は前述した湧水で潤っていた土です。人間が真に生きた存在となるのは、人間の内側に神の「命の息」(聖霊)を吹き入れられた時からであると聖書は語ります。7節後半に「人はこうして生きる者となった」とありますが、この文章には本来「霊的に」という言葉が入ります。つまり「人はこうして霊的に生きる者となった」と言うのがより正確な訳です。この神の霊がアダムに注ぎ込まれることによって、アダムは神の意志を理解し、聖霊に導かれて自分に与えられた使命に生きるようになったのです。
今日、私たちは神に罪を告白して主イエス・キリストの御言葉に従う時、聖霊の祝福を再び受けて生きることができます。そのことを主に感謝致しましょう。