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主日礼拝宣教要旨

2016年10月30日(日) 主日礼拝宣教要旨「神の人格と創造目的」創世記1章31節 

2016年10月30日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎

 

主題)「神の人格と創造目的」

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」創世記1章31節

これまでの総まとめとして、第1章で描かれる神のご人格について見ていきましょう。第1節の出だしで「初めに」とあり、初めと終わりを計画される神、また天も地も創造された天地の概念を越えた神として登場します。2節には太古の水の惑星であった地球を温かく包み込む神、また人間の目線で語られる神が語られます。

第一日目以降では、すべてが神の「言=ことば」(葉の字をわざと用いない)によって創造され神の言には力と命が宿っていることが表現されています。第二日には創造物を区別し、名前を与え、それぞれに固有の役割を与えていかれる神が語られます。第三日に描かれているのは創造物を見て点検し、「良し」と宣言し、創造物に責任を持たれる神が語られます。第四日には神の壮大な創造の業を指し示す大宇宙が肉眼で見えるようにされ、空気も水も清めていかれる神が語られます。そして第五日には生き物たちの繁栄を心から願う祝福の神として自らを表現し、第六日目には人間に世界の支配人として役割と能力を与え、すべての生き物に豊かに食料を与えられる神が描かれています。

このように神が口にされる言はすべて「そのようになった」と繰り返し表現されています。神は有言実行の神であり、それらはすべて後に登場する主イエス・キリストへとつながる人格として語られています。そして31節で神は最後の総点検をされ、すべてが「極めて良かった」と締めくくられます。

創世記の第1章を読むと、神が心を込め、力を込めて世界を創造された姿と、喜びに満ちた神の祝福の言が随所から聞こえて来ます。最後に「見よ」と神は私たちに呼びかけられ、この世界は初めから、希望に溢れた世界として神が創造して下さったことが語られているのです。

 

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