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主日礼拝宣教要旨

2015年9月13日「自分の真の欠乏を知る」マタイによる福音書5章3節(斎藤信一郎牧師)

マタイによる福音書5章3節
「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」

今月からイエス・キリストが語られた山上での説教に耳を傾けて参ります。主イエスは冒頭から当時の人々にとっては驚くような説教内容を語っています。心の貧しい人々がどうして幸いだと言えるのでしょうか。主イエスが語る貧しさとは本来必要不可欠なものが欠乏している状態のことだと考えられます。言い換えれば人間が真に欠乏しているものは何かと言うことであり、人間が例外なく直面する人生における二大問題の一つについて明確にしている箇所です。

それでは私たちが悟るべき人類の根本問題とは何でしょうか。それは人間がこの世界の創造主であり、私たちひとりひとりに目的を与えてこの世に送り出して下さっている神とその使命を知らずに生きていることです。自分には本来どうしても必要不可欠なものが欠けている自覚があって初めて人はそれを手に入れようと本気になることができます。本当の意味で心の貧しい人が幸いとなるのは、創造主なる神との豊かな必要不可欠の関係が欠乏していることに気づいて、危機意識を持ってからなのです。

主イエスの話しはここで終わりません。後半部分であり、結論部分を見ると「天の国はその人たちのものである」とあります。天の国の祝福を私たちに与えることこそ神が一番願っておられることです。これを手に入れていない人は例外なく、この世で最も心の貧しい人なのです。それに気づいてほしいからこそ、主イエスは敢えて意表を突くような表現で人々に最初の言葉を切り出したのではないでしょうか。人生において最も必要不可欠なものが自分には欠けているという自覚を持つことこそ、神の国の祝福を確実に手に入れていくための第一歩であり、唯一の道なのだと示されます。あなたはもう天の国の祝福を手に入れておられるでしょうか。あなたの人生に聖書の神との正しい関係が不可欠だと知ることからすべては始まるのです。

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