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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

2015年9月27日「弱さこそ強さ」コリントの信徒への手紙二12章1~10節(朴思郁協力牧師)

「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(コリントの信徒への手紙二12章10節)。

 

「弱肉強食」、現代社会を表している言葉です。現代社会は、弱者を切り捨て、餌食として、勝ち組だけの利益が増していく「強者優先社会」だからです。政府などの規制を最小化し、自由競争を重んじる新自由主義が掲げているのは、まさしく、弱者切り捨て、弱者いじめなのです。ゲームのルール自体を、弱者に不利かつ不公平で、そのような「構造的暴力」をあたかも最先端の経済システムのように、経済至上主義に成り立っている国々はバックアップする。その結果、貧富の格差はますます広がっている。今の現代社会が抱えているジレンマであり課題なのです。

そのような社会に生きている私たちに、使徒パウロの言う「わたしは弱いときにこそ強いのだ」という言葉は、一般の常識を覆すような新しい生き方です。この生き方を、ご自分の身をもって示されたのはイエス・キリストなのです。主イエスは、強い立場から弱い人々を受け入れたのではありません。主イエスご自身が飼い葉桶に生まれ,貧しい者,弱い者となられ、十字架において死なれました。それゆえ、イエスは「わたしたちの弱さに同情できない方ではない」(ヘブライ4:15)のです。「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです」(Ⅱコリント13,4)。自ら弱い者となられ,私たちの弱さを受け入れてくださった主イエスにおいて,世間の常識では不可能な「弱いときにこそ強い」という新しい生き方が一つの現実として示されたのです。

「もう駄目だ」と諦めたくなるとき、心を静め、主からの声に耳を傾けましょう。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12:9)。その主の言葉に励まされ、信仰生活に励んでいきたいと願います。

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