出エジプト記34章1~10、27~28節「もう一度そこに立ち」
総合テーマ 私たちの本気を求められる神
黙想のポイント
その1 聖書の神の特徴を黙想しましょう。
その2 聖書教育誌にも勧められているように、なぜ二度目の十戒の授与の時には最初と違って、神はモーセに二枚の石を用意させ、十戒を書かせられたのか黙想しましょう。
◆戒めの再授与
34:1 主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。
34:2 明日の朝までにそれを用意し、朝、シナイ山に登り、山の頂でわたしの前に立ちなさい。
34:3 だれもあなたと一緒に登ってはならない。山のどこにも人の姿があってはならず、山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない。」
34:4 モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。
>>>前回は神自ら石の板を用意し文字を書かれたが、今回はモーセが準備しなければならなかった。モーセが前回の神の契約の板である十戒を自分の手で破壊した責任が問われているのでしょうか。
34:5 主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。
34:6 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。
◆1「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、
34:7 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。
>>>仮に3~4代が100年だとすると、3~4千代とは10万年を指すことになります。後に語られる罪の影響が及ぶ範囲とは比較にならない神の慈しみが強調されています。また、聖書の神は罪と背きと過ちを赦す神だということが強調されています。この箇所から聖書の神の特徴を静かに黙想しましょう。
◆2しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」
34:8 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、
34:9 言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」
34:10 主は言われた。「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしはあなたの民すべての前で驚くべき業を行う。それは全地のいかなる民にもいまだかつてなされたことのない業である。あなたと共にいるこの民は皆、主の業を見るであろう。わたしがあなたと共にあって行うことは恐るべきものである。
34:27 主はモーセに言われた。「これらの言葉を書き記しなさい。わたしは、これらの言葉に基づいてあなたと、またイスラエルと契約を結ぶ。」
34:28 モーセは主と共に四十日四十夜、そこにとどまった。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した
>>>40日40夜の断食は荒野での主イエスのことを連想させます。モーセにとっても、これを読んだ主イエスにとっても、神の御心と民の罪深い現状、自分の使命を再確認する時になったことでしょう。