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主日礼拝宣教要旨

2015年9月20日「本当に悲しむべきこと」マタイによる福音書5章4節(斎藤信一郎牧師)

マタイによる福音書5章4節
「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。」

イエス・キリストが山上で語られた有名な9つの幸いについての説教。その冒頭の2つはだれもが最初聞いても簡単には理解できないものでした。「心の貧しい人々は幸いである」、そして「悲しむ人々は、幸いである」。常識とは正反対のことを語りながら主イエスは神が私たちをどのように導き、人生を祝福して下さろうとしているのか、人生において歩むべき2つの信仰の階段について語っておられます。最初の心の貧しい人というのは、「本来人生において必要不可欠のものが欠乏している状態の人」を指します。また今回の悲しむ人とは、「願っていた状態にならず、その現実が受け入れられずに苦しみ、悲しむ人」のことです。どちらもうまく対処しなければ自死を招きかねない重大問題だと言えます。その中でも特に聖書が語る人生の二大問題とは、この世に神から使命を与えられて存在していることを自覚しないで生きているという「人生における真の目的が欠乏している状態の人」のことを言い、もうひとつは「願っている状況とは違う現実を受け入れられず、苦しみ悲しむ人」のことだと言えます。

前者の真の欠乏に気づいた人は後半部分で神が明らかにしておられるように天の国という最も豊かな国が用意され、後者の状況から抜け出す必要があることを自覚した人は、キリストの十字架と復活を通して与えられる真実の慰めを受けることができるということです。最も豊かな天の国と最高の慰めが準備されているからこそ、どんなに人生において深刻な欠乏が生じたり、悲しい現実を抱えていたとしても、私たちは決してそのことで絶望の中に居続ける必要がないという希望が語られているのです。共に真の慰め主である主イエス・キリストが切り開いて下さった天の国の祝福に満ちた最善の道を歩んで参りましょう。

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