出エジプト記16章1節~15 節「荒れ野で飢えを満たす神」
総合テーマ どんな状況でも神の御言葉に忠実に従う訓練の時
黙想のポイント
その1 2節と7節と8節で示されるように、実は主なる神に不平をぶつけると言う罪を犯すのはどんな時か?
その2 不平を日常から減らすために必要な信仰と日々の心得とはなんでしょうか?今日の箇所からは何が信仰生活の基礎として大切だと学ぶことができるでしょうか?
◆マナ
16:1 イスラエルの人々の共同体全体はエリムを出発し、エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に向かった。それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日であった。
>>>エジプトを出発してちょうど一か月が過ぎ、二か月目に入ったことになる。
16:2 荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。
16:3 イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
>>>イスラエルの不安は容易に想像できます。100万人はいたであろう人々の食料確保は荒野において常識的には不可能でした。かなりお腹を人々は空かせ、子どもや赤ん坊が泣きわめいていたことでしょう。人生には思うようにいかず、これからの人生をどう生きて行けばもっと希望が見えてくるのか検討が付かないこともあるでしょう。主に導かれる者はこのような状況に置かれた時、どのような信仰を持って生きればいいのでしょうか。今回の箇所を参考にしたいと思います。まず、手始めにイスラエルの民の反応を評価したいと思います。これまでの話しの流れからすれば彼らはここで愚痴や不平を言うべきではなかったことはお分かりのことと思いますが、それでは代わりにどうすべきだったのでしょうか。
16:4 主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。
>>>神にはこれから40年かけて民の信仰を育てる特別な計画がありました。神の指示通りに行動して生きるように信仰訓練をするというものだったことがここで明確にされています。
16:5 ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」
>>>この神の指示には6日目だけ特別な条件がありました。通常の2倍のマナを集めることができるというものでした。後に述べられていることですが、少し多めにマナを集めようとした者も、少なめに集めようとした者も、秤で計ってみるとすべて1オメルちょうどになってしまうことが述べられています。彼らにちょうど必要な量のマナを与えておられる背後の責任者は神であることを日々彼らは教えられ続けていくことになります。そのことを理解した上で6日目にはちょうど2倍のマナが主からそれぞれの家庭に与えられて行ったことが語られているのです。
16:6 モーセとアロンはすべてのイスラエルの人々に向かって言った。「夕暮れに、あなたたちは、主があなたたちをエジプトの国から導き出されたことを知り、
>>>だれがエジプト=奴隷の家と環境から導き出し、救い出さして下さったのかをイスラエルの民は再認識することが彼らが日々確認すべき信仰だったことが示されます。
16:7 朝に、主の栄光を見る。あなたたちが主に向かって不平を述べるのを主が聞かれたからだ。我々が何者なので、我々に向かって不平を述べるのか。」
16:8 モーセは更に言った。「主は夕暮れに、あなたたちに肉を与えて食べさせ、朝にパンを与えて満腹にさせられる。主は、あなたたちが主に向かって述べた不平を、聞かれたからだ。一体、我々は何者なのか。あなたたちは我々に向かってではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ。」
>>>不平は主につながっていることを弁えたいと思います。あなたは大丈夫ですか?
16:9 モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、
16:10 アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。
16:11 主はモーセに仰せになった。
16:12 「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」
16:13 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。
16:14 この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。
16:15 イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。
>>>どのような過酷な環境でも主は私たちが生きていくことができる霊の糧を与えて下さることが示されています。あなたの今の環境はどうでしょうか。日々、正しい量の主の糧=みことばを毎朝集めているでしょうか。信仰生活における最も基本となる生活習慣の一つは日々神のみことばと共に歩むということでしょう。そして、主の日の礼拝を大切にするために、前日には普段以上に神のみことばをいただく備えをしていくことが大切だということが強調されています。クリスチャン生活の基礎となる今回の内容です。私たちの参考にもなる箇所ではないでしょうか。
*出エジプト記は全体として私たちの人生のどのような段階を現しているのでしょうか?これまで見て来たように、エジプト王は悪魔を象徴し、エジプトでの奴隷生活とは悪魔の支配下の中で生活することを示唆していると考えられます。そこから脱出する戦いが描かれ、人々を元の生活に引き戻そうとする敵との戦いが描かれていました。そして紅海を渡る民。ちょうど私たちが信仰生活に正式に入る時にバプテスマを受けるように、イスラエルの民は紅海を渡って神が用意しておられた荒野での新たな信仰生活が始まって行きます。今回から始まる荒野での生活も民が思っていたほど簡単なものではありませんでした。想像していた生活とは全く違った荒野での生活、そして未体験の生活の連続。民は神への信仰が試されます。そして、民は古い過去のエジプトでの生活習慣を脱ぎ捨てていかなければなりません。ある意味ではイスラエルの民が神の民としての自覚と生活習慣を身に着けるために訓練されていくのが荒野での40年間であったということができます。今月は共に信仰生活の基礎となるひとつひとつの大切な要素を共に学んで行きましょう。