主題)主の祈りの最後の部分…頌栄「御国と力と栄とは 限りなく 汝のものなればなり」
「頌栄」ヨハネの黙示録4章9-11節、5章11-12節、7章9-17節
「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」4章11節
聖書に書かれている主の祈りは前回の6番目の祈りで終わりですが、教会ではこの後に続いて頌栄と言われる部分を唱和します。頌栄という言葉の意味は「(神の)栄光をほめたたえる」と言う意味です。ヨハネの黙示録に描かれる天の礼拝の場面も、神の栄光をほめたたえ、賛美して始まり、最後にも同じように頌栄を唱えて終わることが示されています。今回の4章・5章・7章で描かれている天の礼拝の場面でも最初は24人の長老が、次に5章で最低でも3万人以上の天使たちが、そして7章ではもはや数えきれない数の白い衣を着た人々がそれぞれに頌栄を口にして神に栄光を帰す賛美をして礼拝を捧げています。
長老たちは自分たちの勲章とも言える冠を主の前に差出して礼拝します。御座におられるお方にすべてを捧げて礼拝に集中する姿が描かれています。その礼拝の対象は御座に座っておられる世界の創造の初めからおられるキリストを象徴する人物であり、途中から人類の罪をあがなって下さった神の小羊が登場して御座におられるキリストと合流します。7章17節では「玉座の中央におられる小羊」とあります。きっと御座に座っておられるキリストの膝に抱かれていたのではないかと想像します。その後ろから全能の神の栄光の光が照り輝きます。私たちには不思議な表現ですが、どちらもイエス・キリストを指し示しているのです。キリストは「私を見た者は父(神)を見たのである」と言われました。天の礼拝においてやがて私たちは神を象徴するキリストに栄光を帰しながらその創造の御業と救いの御業をほめたたえることになるのです。その栄えある日を待ち望みながら、共に心を込め、主に栄光を帰しながら礼拝を捧げて参りましょう。