主題)主の祈りの第6番目「我らを試みに合わせず、悪より救い出だしたまえ」
「執り成しの祈りの力」 エフェソの信徒への手紙6章18-20節
6:18 「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」
第6番目の主の祈りの最後になりました。この祈りも他の祈りと同様に「私を試みに合わせず」ではなく、「我らを試みに合わせず」と祈るものです。この違いこそ主の祈りの最大の特徴の一つです。主の祈りは主イエス・キリストが示して下さっている「私」の模範となる祈りであると共に、「信仰の仲間や他の人」のために執り成し祈ることが大事な祈りです。そして、主イエス・キリストが常に「我らと共に」祈り続けて下さる祈りなのです。
この主の祈りを祈る時、私たちが常に期待し、また願い求めながら祈るように示されるのは「聖霊」の助けを求めて祈ることです。主の祈りは個人的な祈りと言うよりも聖霊との協働作業によってなされる祈りです。私たちの力で祈るのではなく、聖霊に導かれて共に祈らせていただくのです。このようにして祈る時、私たちは悪魔の誘惑によって焦点のぼけた祈りや集中力の欠いた祈りではなく、絶えず目を覚まして根気強い祈りをすることができるように導かれて行きます。
パウロが絶えず「私のためにも祈って下さい」と執り成しの祈りを他の信者にお願いしたように、牧師のためにも絶えず祈ってお支え下さい。また、パウロは「福音の使者として鎖につながれて」いると語りましたが、私たちはだれもが固有の人生の障害を負っています。それが鎖のように私たちの信仰生活の妨げになったりします。どんなにそのために生活に制約があったとしても、大胆に伝道できるように執り成し祈って下さいとの要請です。私たちも互いにどのような状況の中にあっても常に主イエス・キリストの導きに従って伝道できるように共に祈り合いましょう。そして、主イエス・キリストが十字架の上で最後まで執り成し祈り続けられたように、私たちも主イエス・キリストと共に生涯をかけて主の祈りを祈らせていただきましょう。