ようこそ西川口キリスト教会のホームページへ

地域と共に歩む桜並木の教会

教会員ページ
主日礼拝宣教要旨

2015年6月7日 「右の頬を打たれる時」 マタイによる福音書5章38~39節(斎藤信一郎牧師)

「右の頬を打たれる時」2015年6月7日 マタイによる福音書5章38~39節

 

◆5:38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。 5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

 

今月は主の祈りの第5番目「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をも赦したまえ」について理解を深めて参ります。当時、3回までは赦すのが一般的だった時代に、ペテロは7回まで人を赦せばいいでしょうかと主イエスに尋ねました。しかし、主イエスの返事は「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」つまり生涯をかけて人を赦すことを実践しなさいというものでした。

主イエスは言われます。「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」この教えは暴力を受けても無抵抗でいなさいとか、どんなに被害を受けても徹底的に我慢しなさいという教えでもありません。それではどういう意味なのか。普通相手の頬を右利きの人が叩こうとすると相手の左の頬を叩くことになります。しかし、主イエスが語っておられるのはそれとは逆の右の頬を打たれた場合でした。

実は当時の文化として相手がどうしても赦せず、仕返しとして相手を侮辱したい場合に手のひらではなく、手の甲を使って相手を打つという報復の方法がありました。ここで語られているのは実は打たれた者が被害者である前にだれかを相当に怒らせた加害者だということなのです。通常、このような仕返しを受けた者はもはや償いは果たしたと一般的には見なされるところですが、主イエスは真の和解と赦しのためにはなおも相手に左の頬を差し出す覚悟で赦しを請いなさいと教えられたのです。

人を赦すことも、人から赦されることも本当に難しいことを私たちは日常的に経験します。しかし、死に至るまで人を赦し続け、あらゆる憎しみの罪に勝利された主イエス・キリストに信頼し、このお方に赦しの力をいただく時、私たちには天国に通じる新たな人生が開かれます。キリストにあって真に赦し、赦される幸いの中に生かされていきましょう。

関連記事

PAGE TOP