「罪を赦されるには」2015年6月14日 マタイによる福音書18章23~35節
18:35 「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
ペトロに7の70倍するまで赦すことを生涯かけて実践しなさいと主イエスは語った後にそれを理解させるために1万タラントン(約3千億円)借金があった家来の借金を帳消しにした主君のたとえをしました。しかし、家来は主君の恩をあだで返し、自分に100デナリオン(約50万)借金があった別の人を赦すことができずに牢に入れたため、それを伝え聞いた主君の怒りを買い、結局その家来は牢屋で生涯借金を返済して過ごさなければならなくなります。この家来に決定的に欠けていたものは何だったのでしょうか。3つあったと考えられます。
一つ目は主君にどれほど大きな借金を赦してもらったかという自覚と感謝が足りなかったことです。二つ目は借金を帳消しにしてもらうために主君にどれほど莫大な犠牲(3千億円の損失)を払わせたかと言う自分が主君に与えた犠牲とその背後の主君の愛を理解できなかったことです。そして三つ目は彼が主君の家来であり、家来は主君の意志に従うのが使命だという自覚が欠けていたことです。本来借金を帳消しにしてもらった家来はすぐにでも帰った後で自分に借金がある人たちを訪ね、主君にしてもらったように彼らの借金を帳消しにし、主君がどれほど寛大で愛に溢れたお方なのかということを人々に示し、主君の名声を広めることによって恩に報いることではなかったかと思います。
このたとえに登場する主君こそ神であり、イエス・キリストです。そして家来とはペトロのことであり、私たちを指します。そして主イエスはペトロにあなたは7の70倍赦す立場にあることを理解しているかと問いかけるのです。そうするのに値する絶大な赦しを神からいただき、神の子としていただいているものの使命を自覚しなさいとの招きに私たちも応えていくものでありたいと思います。