「見えない形で来る神の国」 2015年3月8日 ルカによる福音書17章20~21節
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
今月は主の祈りの第二の祈り…「御国を来たらせたまえ」について御言葉から学んでいます。御国は私たちが死んだ後にいく天の国を指す場合もあれば、今回の箇所が示している世の終わりに到来する神の国を指す場合もあり、また「今=現在」にも実現する可能性があるのが神の国です。そして前回学んだように神の国こそ主イエスが生前、復活後と常に弟子たちに伝えようとした福音です。そこで神の国とは具体的には何を意味するのでしょうか。まず神の国とはすぐに見える形で始まる国ではないということです。当時の多くのユダヤ人の期待とは、ダビデ王の時代のような独立国家を取り戻すことでしたが、主イエスはそのような具体的に見える形のものではないと言います。その国は地上のどこかに存在するようになる国のことではなく、私たちの内面(心の中)から始まるものだと言います。ローマ書14章17節では「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」とあり、神の国は普段の飲み食いするような物理的な世界のことではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びだと言います。言い換えると罪の支配から自由にされ、罪に勝利して生きる世界のことです。マタイ12章28節で主イエスは「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」と語り、神の霊=聖霊によって悪霊が目的を達成できず、むしろ追い出されて敗北する世界のことを神の国だと語っています。そして、それは主イエスの御業が起きているところであれば「今」からでも始まる世界だと示されます。罪に勝利して生きる世界、そのような御国が実現することを主イエスは祈り求め、実現しようとしておられたのです。