「越境する信仰」 2015年2月8日 ヨハネによる福音書4章1-15節
「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」 ヨハネによる福音書4章18節
私たちは、慣れ親しんだ聖書の個所であっても、時には、あたかも初めて読むかのように、聖書に向き合う必要があります。それは、いつの間にか自分の中に根付いている、何らかのバイアスがかかっている先入観や固定観念を通して聖書を読んでしまい、本当に耳を傾けなければならない大切な意味を見逃してしまうことも起こりかねないからです。
ヨハネ福音書4章にある、サマリアの女の人がイエスに遭遇する有名な物語は、単純に一人の「罪人」の女の人が、「救い主」イエスに出会ったという前提で読まれていますが、「ユダヤ/男性」中心的な読み方ではなく、「サマリア/女性」の立場から丁寧に読んでいかなければなりません。一般にイエスとの対話の中で明らかになった度重なる離婚歴は、彼女が道徳的な欠陥を抱えている「罪人」であることの裏付けとして理解されています。しかし、「サマリア」は、ユダヤ人のサマリア人に対する政治・社会的差別語であり、彼女の離婚歴の背後には、当時離婚成立に関する律法条項(申命記24:1、マタイ19:3)の悪用によって、結婚生活における絶対的弱者である多くの女性が、正当な理由なしに離婚を強いられた蓋然性が高いことを念頭に置かなければなりません。そういう意味で、イエスが「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ」(ヨハネ4:18)と言われたのは、決して彼女の道徳的欠陥に対する批判ではなく、正当な理由なしに何度も離婚を強いられ、数奇な人生を歩まざるを得なかった「一人の人生」を温かい眼差しで慰め励ます言葉であったに違いありません。
イエスは、閉鎖的慣習、民族的感情、自文化中心主義、性差別など、様々な「ボーダー」を越えて、「人格と人格との出会い」を実践されたのです。イエスに従って生きるとは、様々なボーダーを越えていくことです。私たちの信仰が先入観、偏見、損得勘定などに根ざした自己中心的な生き方を果敢に脱ぎ捨て、「ボーダークロス(越境)」をしていくものでありたいと願います。